しがしが留学記:PAOK・香川真司選手の名前のギリシア語での発音問題

香川真司選手も目にしているであろうギリシャ・テッサロニキの凱旋門(カマラ)/筆者撮影

ギリシャ第二の大都市・テッサロニキのアリストテリオ大学哲学部で訪問研究員生活を送る福田耕佑が、ギリシャ滞在生活を通じた留学記をつづる「しがしが留学紀」。テサロニキを本拠地とするPAOKに加入した日本の香川真司選手を迎えた印象を描いてサッカーファン、ギリシャファンから好評を得た第6回に続き、第7回となる今回は、日本語の名詞をギリシャ語でつづる際に生まれる終わりなき「正しさ」の旅について、香川真司選手の名を例に採って解説します。ギリシャ語から日本語への翻訳でも常に付きまとうこの問題、正解とは…?

・福田耕佑のテッサロニキ「しがしが」留学記:過去記事はこちらから!


Γεια σας(ヤ・サス)! 皆さん、こんにちは。ギリシアはテッサロニキに留学している福田耕佑です。ギリシアは現在新型コロナ・ウイルス第三波により再びロックダウンが強化されそうで、皆なかなかの逼迫感の中で生活しております。

2021年2月現在テッサロニキのPAOKサロニカで活躍していらっしゃる香川選手ですが、ギリシアでは(或いはパオックのサポーターの間で)香川選手に寄せられる期待が大きく、彼のプレーや経歴に関する話題がニュースの大半を占めている一方、ギリシアらしいと申しますか、ギリシア語らしい話題がまことしやかに界隈の中で起こっており、今日はこの話題についてお話させていただこうかと存じます。

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ここで話題になっているのは、香川真司選手の名前をギリシア語でどのように表記するのかという問題です。「何だ、こまかいな。どちらでもいいではないか」と思われた香川選手のファンの方が大半かと存じますが、ギリシアにもこういうところが無性に気になる方がいらっしゃいます。特にギリシア人の中には数千年の歴史を持つ自国のギリシア語に大きな誇りを持ち、「ギリシア語に関する話」が大好きな方もたくさんいらっしゃいます。こういう観点でも香川選手は彼らの心を捉えたと言っても言い過ぎではないぐらいです(笑)。

福田耕祐コラム・しがしが留学記「香川真司選手が街にやって来た!編」

では実際にどういう話が起こっているのかと言いますと、実はギリシア語には、日本語の「ワ」と「ヲ」の音を表記するのに適した文字がないのです。こういう事情で、日本語の「ワ」の音に対しては (1) ουα(ウァ/ua)と (2) βα(ヴァ/va)のどちらかが便宜的に使われています。ここにはどちらを使わなければならないという正式な決まりやルールがなく、(1)と(2)のどちらかが何となく使われている感じです。「カ(ka)」の音はギリシア語でκαと書かれ、「ガ(ga)」の音は何とγκαと書かれます。数学の時間にα, β, γの「ガンマ」というものを見たことがおありかと存じますが、ギリシア語ではこのγをκの文字の前に置くことで「ガ行」の音を表します。何はともあれこれらを合わせると、香川選手の名前は

(1) Κα–γκα–ουα 「カ・ガ・ウァ」
(2) Κα–γκα–βα 「カ・ガ・ヴァ」

と書かれ発音されています。「結局どちらも日本語の発音と違うじゃないか」と思われるかもしれませんが、これらの表記が日本語の元の音に寄せたギリシア語での発音のようです。私が聞いている感じでは、ラジオやテレビ、また街のパオック・サポーターの人々には、(1)を使って「カガーウァ」と発音している人、(2)のように「カーガウァ」と発音している人がいるかなと思います。今回はアクセントのことはお話しいたしませんが、香川選手のギリシア語での記事や写真などを検索する際には、ΚαγκάουαかΚαγκάβαを入れて検索してみてください。今のところは両方の表記が見られる状況ですが、香川選手の活躍によってギリシア人の間で話題に上る回数が高まるにつれて、どちらかの表記に最終的には落ち着くことにあるかと思います。個人的には、どちらの表記に落ち着くのか帰趨を見守るのも楽しみです。

そもそもギリシ「ア」なのか、ギリシ「ャ」なのかに始まり、昔からギリシアの文物を日本語でどのように表記するのかは揉めに揉めてきている歴史があります。古代ギリシアの時代に『女の議会』、また『女の平和』等を書いた、Αριστοφάνηςという人物に至っては、日本において「アリストパネス」、「アリストファネス」、「アリストパネース」、「アリストファネース」等々様々な表記が見られました。現在のギリシアでは「アリストファニス」に近い発音が用いられておりますが、日本のギリシア学者たちもギリシア人たちの「カガーウァ」なのか「カガーヴァ」なのか問題と同じく発音や表記を昔から議論してきているのです。

香川選手を通してではありますが、ギリシアと日本でそれぞれの国の言葉について自分たちの言語の文字でどう表記したらよいのかという似た問題が起こっているのはとても興味深いですね。

それでは皆さん、今日はこの辺で!Γεια σας(ヤ・サス/「こんにちは」と「さようなら」)!

*現在ギリシアで使われているギリシア語や文字、そして発音なども面白そうだなぁと思い、自分でもギリシア語で検索してみたい、文字を読めるようになってみたいと思われた方は、村田奈々子先生の『ギリシア語のかたち』という本に文字が紹介されています。是非読んでみてください。

 

福田 耕佑
福田 耕佑
京都大学文学部非常勤講師。専攻はニコス・カザンザキスを中心とした近現代ギリシア文学・思想史。主な著作に翻訳「ニコス・カザンザキス著 『禁欲』京緑社 2018年」、ギリシア語での著作に«ο Καζαντζάκης και η Ελληνικότητα» στο «Νίκος Καζαντζάκης, Η απω-ανατολική ματιά» (Επιμέλεια Έλενα Αβραμίδου, Ένεκεν, 2019 )。

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