『伝統芸能の海外公演に関する研究会 能楽部会 実施報告書』

kyoto-noh

国際交流基金・法政大学能楽研究所・早稲田大学演劇博物館

「能と狂言の会」公演報告

スティリアノス・パパレクサンドプロス
Stelios L. Papalexandropoulos
ギリシャ・アテネ大学教授
国際日本文化研究センター客員研究員
*本レポートは、パパレクサンドロプロス教授により日本語で書かれたものです。

私は能の賞賛者として、これまで多くの能公演を鑑賞してきた。能はプロに実演される方が好ましいのは言うまでもないが、個人的な趣味として能に打ち込んでいるグループの公演に対しても私は格別の愛着を持っていることをこの場をかりて述べたい。個々のこうしたグループは能に何か特別な、彼ら独自の表現法と独特な質のようなものをもたらす。
私は以前、このような趣を味わうために、個人的な趣味として能に熱中する人たちによる一般公開のテスト公演を国立能楽堂で鑑賞していたことがある。様々な年齢(高齢者も含め)、社会階層、そして職業の人たちが、各自の姿勢や節で表現を行う様を見て、楽しんだものだ。
京都で能公演を鑑賞するのはこれが初めてであると告白することを恥ずかしく感じる一方で、私はこのような機会をずっと期待していた。ただ、私はそれが何かしら違った経験であると想像していた。それは、熱い夏の夜の京都で、ゆらゆらと燃える篝火が舞台の両端に置かれ、神社の前で催されるものであった。
それは、そのようにロマンチックなものではなかった。時の経過と長い功労の跡が敬虔に刻まれた能楽堂での催しであった。私は日本人の観客だけで埋め尽くされた観客席ではなく(西洋人の顔をしている自分のことは忘れて)、たくさんの西欧人の姿が入り混じった客席に、彼らの一人として座っていた。外国人の観客のほとんどは、京都の様々な大学や研究センターの学生たちであった。これは国際交流基金の好意で、これらの学生や研究者に能の世界を紹介する目的で計画された公演であった。当然、その好意と、さらにこのイニシアティブの必要性を認識しつつも、私は、このような公演が不可避的に帯びる教訓的な性質によって、能のための能の精神といったようなもの、あるいは他の公演で私が経験した雰囲気の純粋さといったようなものが、いくぶん付随的ではあるが、失われる結果になってしまうことを書き留めておかなければならない。これは公演について言っているのではなく―それは私がこれまで観た中でもっとも優れたもののひとつであった―、全体の雰囲気のことを言っているのである。

私は公演が始まるやいなや、周囲を取り巻く状況やその他のことはすぐに忘れて、公演に夢中になっていた。これまで多くの能や狂言を観てきたことはすでに述べたが、なぜこの『二人大名』と『清経』という二つの舞台をかつて観たことがなかったのかが分からない。それゆえに、この「初めて」というのは、この公演に魅力を与える要素となった。
狂言はこれまでに観たものの中でもっともコミカルなものだった。鶏の声を、あるいは転がる達磨の動きを真似る二人の大名は私の脳裏に焼きついてしばらく消えないだろうことは確かだ。それどころか、きっといつまでも記憶に焼きつくだろう。
『清経』は、能を観るたびに常に私が虜にされる、能の魔術的な力のさらなる一部分となった。しかし、いったいこの奇妙な雰囲気は、そしてこの舞台から発せられる神秘的なオーラはどこに、そして何に起因しているのだろうか?この問いは常に私の頭を悩ます。今回もこの奇怪さの根源を突き止めるために答えを探ってみたが、やはり失敗に終わった。残念なことに、他の多くのことと同様、幽玄の間隔を分析して言葉で表現することは不可能だ。しかし、それなら、と私の探究精神は主張する。このような感覚を観客に伝える能力を能の創造者はどのようにして獲得したのか?彼らは、そういう効果を生み出すことを以前から知っていたか、あるいは少なくともある瞬間に見つけ、そのような手段を意識的に使用することによって獲得したという他はないだろう。どのような要素があのような雰囲気を創り出すのかを探りだす試みによって、そのうち私たちがその手続きの道程から彼らの精神に辿りつける可能性はないのだろうか?あるいはおそらく、野望を少し低くして、単純にどのようにあの奇怪な雰囲気は創り出されているのかを、それらの要素を突き止めることによって理解することは?
このような考えがその時、私をしばらくの間ベールの魔力から解き放ち、単なる観察者として距離をおくように促した。いくつかの答えが浮かんだ。そのひとつとして、わたしが「不自然さ」と呼ぶものは、この奇妙な感覚を生む要因のひとつだろう。例えば、ツレの体のサイズと身長は自然な大きさや高さよりも大きく、高く見せられている。この事実は演者を印象的に見せるだけでなく、不自然にもしている。敢えて言うなら、演者を何か非人間的に、あるいは怪物の領域にすら接しているようなものにする。普通以上に大きい衣装がこれに関与している要因だと思われる。演者は揺らめき光る、特段大きな外観をしている。さらに、身体が隠されているために、またその巨大さが上腕の分量を超えているために、ほとんど平らな形状をしている。その光景は見る者の目の前の平らな形状の印象よりもさらに一歩先に進ませ、そしてその時、彼はほとんどただの巨大な衣装となる。それは空に浮き、ぶら下りながらゆっくりとそれ自身で移動する。
このような巨大な姿の上に置かれた面を被った頭は釣合いとして小さい。この異常な、また不自然な比率が今度はそれ自身で奇怪さを添える。
そして、二層に重ねられた顔面の感覚(再び何か不自然な)もある。これはことさら側面から見ることができる。面は顔を収容してはおらず、上にのせられているだけだ。これが、二層の奇妙な印象を与える。
さらに言うと、特にツレの場合、着物の強調的な点と固定された顔面によって、彼女は人間でありながら同時に巨大な人形になる。二つの不自然な結合、互いに相反する要素が奇妙な感覚の一因となっている。
しかし、このような理屈づけの試みの後でも、何かが取り残されている―理解や言語表現を無効にする何かが。木の面の上に永遠に固定された笑顔によって生み出される不気味さ、頭の微妙な下方への傾きをいかに素晴らしく兼ね備えているかという感覚、そして、あの感覚。これを表す言葉を見つけることはできない。それは、同一人物の憂鬱な顔と黒い微笑の組み合わせによってもたらされる感覚。それらはむしろ、ただそれら自身のあるがままにしておくべきものである。
似たようなことが、多くのシテの形態についても言える。『清経』のシテも例外ではない。これもやはり、巨大で不可思議な人形で、まるで、その大きな衣装の下は空気のみで、誰もいないかのように見える。
主要な役者が死者の亡霊を演じる能劇はたくさんある。彼らは、彼らが死亡した時の状況と冥界での現在の状況について語る。死者が物語の主人公なのだ。そのため、能の大部分は死者の劇として受け取ることもできる。この意味で、少なくとも私の知る範囲では、能は劇の形式としては独特のものだろうし、これに唯一相当するものとして、古代シャーマニズムの精霊の憑依ダンスが挙げられる。
しかし、なぜ死者が主役であるこのような劇が存在すべきなのか?なぜ、彼自身が物語るべきなのか、あるいはなぜ彼の語りの部分を他の誰かが語るべきではないのか?おそらく、最愛の人である故人と接触する必要性がこれを存在させたのだろうか?しかし、主人公である故人は必ずしも最愛の人、親戚、夫、または妻ではない。無名の死者の霊やひとつの場所を漂う霊はその他の役者の前に姿を現す。いや、劇全体のストーリーの中心は通例死者の死様、そして彼の冥界での現状についての語り―それは通常彼が救われていることを意味する―にある。もし私たちがこの問いに答えられたなら、つまりどうしてこのような死者自身による語りが必要とされたのか、あるいは、どうしてそのような語りが、ある劇の中心的な要素になることに価値があるのかに答えられたなら、私たちは能の本質に触れることができるかもしれない。そして、その本質は恐らく、悲劇のような性質よりもさらに深いところにある何かなのだろう。悲劇は語られる話の中に、そして物語の内容の中に存在する。しかし、もし死者による語りそのものが構成要素だとすれば、語りが死者になされるという操作自体にもっと本質的なことがあるのだろう。
『清経』自身は、このような語りから成り立っている。清経の霊は彼の妻に何が彼を自殺に追い込んだのか、何が彼に死を選ばせたのかを説明する。鼠のように罠にはまり、九州の領主たちと源氏の軍勢に挟まれて、彼はどうあっても死んだに違いないだろう。なぜ彼自身がその語りをするように見せるかに対する答えは、この霊魂に対する妻の恨みの念、彼女の心を毒するだけでなく夫の霊魂をも傷つけるこの感情を、真相を知らせることによって鎮めさせることができるからだろう。彼の現状報告は彼の最終的な運命について妻を安心させる役割も果たしているのだろう。死者以外の誰もこのような説明を与えることはできない。
このような、あるいはこれに類似した回答はこの劇に適している。そうであれば、このような具体的で特別な要求は、個々の劇によって異なりはしても、死者の語りによって満たされると言えるだろう。しかし、死者による語りの最後の長い曲(クセ)で清経は、一般に儚いものとして苦痛を呼び起こす人生について、実に感動する言葉を語る。「過去と未来をよくよく考えた。結局いつか泡立つ波は、再び戻ってくる。しかし、過ぎ去った日々は決して戻ってきたりはしない。胸を引き裂くような苦悩にも終わりは来ない。現世も、私たちは単なる旅人として通り過ぎて行く。いや、私を引き止めるものは何も残っていない」(島崎千富美 『能』第2巻、檜書店 1987年、134ページ)。
これは清経に致命的な手段を取らせる原因となった、彼の陥った悲劇的な境遇だけを明らかにしているのではない。このような境遇によって強化され、示されたもっと一般的な人生に対する見方なのだ。これが彼の語りを構成する彼の死の説明、あるいはさらにもっと一般的な死を説明する。一般的な人生の展望として、死は結果として生じるものだということを。
もう少し余裕が与えられれば、この種の疑問をさらに深く追求することができるのだが。私は、なぜこのような語りが存在するのかという問いに対する答えを提示してこのレポートを終わりにしたいと思う。語りが特定の要求を満たすことを除外せずに、人は説明をすることによってどうにか合理化をしているように思う。死を合理化することで不条理の、その不合理性の鋭利な刃先をなめらかにならしている。日本人は死を気にかけない、生と死はある意味で同じことだ、というような意見を私は何度も聞いてきた。死は人間の本質を共有する全ての人々と同じように日本人にとっても苦痛である。彼らは、長い文化の伝統の中で、その苦痛を和らげる方法を見つけようと努力してきたのだと思う。説明を与えるというのも、そのひとつの方法だったのかもしれない。能の中で、死者にその説明を与えさせることが死をより耐えられるもの、我慢できるものに変えるのだ。

 

スティリアノス・パパレクサンドプロス
1951年にギリシャで生まれる。専門は宗教史。東京大学に留学し主に日本仏教との関係を研究。ギリシャに日本文化一般を 広めるため、日本仏教美術や日本文学を紹介し続けている。現在アテネ大学教授。著作には「西田幾多郎哲学と仏教」、「道元における真実 在」、「日本仏教美術史(飛鳥奈良時代)」など。

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