ギリシャにおける日本研究の第一人者として、また日本文学のギリシャ語翻訳者として長年に渡り精力的に活動を続けているギリシャ人研究者がステリオス(スティリアノス)・パパレクサンドロプロス・アテネ大学神学部教授だ。その活躍は研究・執筆活動に留まらず、その専門である日本仏教以外にも神道や、そして日本文学や日本美術をはじめとする日本文化に関する様々な講演活動にまで及んでいる。
そんなパパレクサンドロプロス教授にGreeceJapan.comは独占インタビューを敢行。日本に関心を抱いたきっかけからギリシャにおける日本研究の現状まで、教授にしか語れないテーマについて率直な意見を伺った。
(インタビュー:永田純子)
どのようなきっかけから日本に対して興味を持たれたのでしょうか。日本研究の分野における先生の足跡について、日本の読者へご説明をお願いします。
初めて意識的に日本に対して興味を持つようになったのは、私が70年代にスイスで留学した際に日本人の同級生や教授を始めとした日本人と出会った時でした。その時から日本に対してある種の暖かさと言うか、憧れにも似た思いが私の心の中に生まれました。こうして日本語の勉強を始めると同時に、日本文化やその歴史についての書籍を読むようになり、日本へ行ってみたいという思いが日増しに強くなっていったのです。
スイスで2年ほど留学生活を送った後ギリシャへ戻り、アテネ大学神学部の助手になりましたが、宗教哲学と宗教史の狭間で迷っていたため、研究の専門分野は決まっていませんでした。ちょうどその時ギリシャでも日本の禅がブームになっていた頃で、私も禅に関する様々な書籍や学術雑誌、論文を読んでいましたが、その中でも京都派や西田哲学に関する論文は私には哲学と宗教が混じりあったもののように見え、興味を惹かれました。当時はまだその他の京都派の哲学者が注目されていなかった頃で、西田哲学が日本哲学の代表格だったのです。西田哲学は禅の影響を受けたものであり、禅を哲学的に、論理的に説いた哲学であると評価されていたのです。
どうしてこれ程難しいテーマを選んだのか、と自分でも理解出来ませんでしたが、結局私はこの西田哲学を研究対象に選びました。
その頃ギリシャ人が得ることが出来た日本の文部省の奨学金は数少なく、また宗教史のような学問を研究するためには得にくいものでした。しかし幸運にも、東京大学の中村元先生の弟子のひとりが当時アテネ大学に留学していて、私が彼から日本語を学ぶなど親しくしていたという縁もあり、先生に私の推薦状を書いてもらえるよう頼んでくれたのです。この推薦状のおかげで私は文部省の奨学金を受けることが出来、晴れて東京大学で西田哲学と禅との関係というテーマを研究対象に学び始めることが出来ました。
当時の指導教授は哲学科の教授の一人であった山本真先生でしたが、山本先生の専門はヨーロッパ哲学であったので、実際の指導は駒場で西田哲学の講義を担当されていた末木剛博先生が担当してくださいました。末木先生は知恵に富んだ研究者というだけでなく、敬虔な仏教徒できわめて優しい方でもありました。今でも彼の姿は私の心の中に焼き付いて離れません。
こうして研究に没頭する中で、禅とはつまり西田哲学の成り立ちの一つの、小さな要素に過ぎないということが理解出来るまで苦しい日々が続きましたが、遂に学位論文を書き上げることが出来ました。当時世界的に見ても西田哲学を研究する研究者は多くありませんでしたが、私の書き上げた学位論文はその数少ない研究書の一つとなったのです。
この学位論文で私は講師の肩書を得ましたが、研究者として更に上を目指すためには新たに論文を書かねばなりません。この時学科の教授から哲学でなく、もっと宗教的なテーマを選んではとのアドバイスを受け、当時宗教学の中でも多神教や神話といった研究が盛んであったことから、次なる研究対象として記紀神話を選択したのです。この中でも特に「古事記」における創造の特徴について論文を執筆しました。この論文を書くためにあらゆる側面から助言くださった国学院大学の中村啓信先生や、学習院大学の吉田敦彦先生といった先生方のことは今も懐かしく思い出されます。
この論文を書き上げた後、私は日本仏教を、特に禅を改めて研究したいとの念に駆られ、当時の責任教授であった桑子敏雄先生の助言を受け、道元の研究に着手しました。桑子先生のご縁で東京大学の末木文美士先生と知り合うことが出来、彼の指導で道元の研究に着手したのです。末木先生のお影で駒沢大学の先生方とも知り合うことが出来ただけでなく、後に日文研での研究が実現するなど、本当にお世話になりました。こうして、それ以降現在まで大学では道元の研究が続けられています。
先生はこれまで長い間ギリシャにおいて日本研究を行う大学の学部の創設に力を尽くされて来ました。これまでの活動およびこれからの展望についてお話しいただけますか。
世界のあらゆる場所で日本研究に関する大学の学部が存在し、研究が続けられている中で、ギリシャにこれが存在しないということは非常に残念なことだと思います。日本について学びたいというギリシャ人は多いにも関わらず、そのための教育・研究機関がないため、経済的な余裕のある者はギリシャ国外で学ぶことを選択することが出来ますが、そうでない者は不本意ながら別のテーマで研究を行わざるを得ません。その結果、ギリシャにおける日本研究の機運は盛り上がらないのです。
これは日本にとっても大きな損失であると言わねばなりません。何故なら、日本学の権威たる教育・研究機関が存在しないということは、日本の歴史、文化、美術、宗教といった学問について正しい理解を広める機会を失うことに繋がります。こうして、ギリシャでは60年代に西欧諸国で主流であった学説が今だに定説としてあり続けているのです。
私は90年代から、こういった現状を何とかしたいと日本学を研究する学科の創設を目指して活動を開始しました。その流れの中で、アテネ大学文学部に新たに「外国文化学科」が創設され、遂に科目の一つとして日本学が含められることになったのです。日本の国際交流基金からの援助も受け、ゆくゆくは一つの独立した学科に成長していければとの展望を抱きながら、私自身も二年半ほどの期間日本文化史を教えるため教鞭を執りましたが、様々な問題のためにいまだ学科の創設には至っていない状況です。アテネ大学の他には、ギリシャ・コルフ島のイオニア大学に「アジア学部」が創設される予定であったのですが、残念ながらこれも実現していません。
先生のお話ではギリシャにおける日本研究の学部創設は難しいということですが、その理由は何でしょうか。また、学部の創設のためには何が不可欠であるとお考えですか。
ギリシャを襲った経済危機を除けば、学部創設が進展しない最大の要因は、これまで関わって来た関係者たちがそもそも日本研究の学部創設に対する情熱に欠けていたということに尽きると言えるでしょう。また、これを支援して来た日本側も、ギリシャの学術界の現状に対する理解が十分でなかったことは確かです。実際に日本研究に携わる者や、その理解者に創設に係る主導権を委ね、真に日本を愛する者たちによって活動が推進されれば、近い将来ギリシャでの日本研究の学部創設は現実のものとなるはずです。
先生はギリシャでこれまで日本をテーマとした数多くの講演を実施されていますが、具体的にどのような講演を行われてきたかお話しいただけますか。
また、これまでの講演の中でギリシャ人の関心の高かったテーマは何でしょうか。
専門分野である宗教学、とくに日本仏教以外にも、私は日本文化全般に対して興味を持っています。日本に滞在すると寺院を始め、博物館や展覧会を訪ね歩いています。また趣味として絵も描いていますので、自然と日本の絵画にも関心がありますし、日本文学に対しても深い興味を持ち、上田秋成の「雨月物語」をはじめ、志賀直哉や安部公房の作品のギリシャ語訳も出版しています。こういったことから、自分の専門分野に限らず、私が興味を持って探求したテーマを含め幅広い分野を対象に講演を行っています。
また、ギリシャではまだ紹介されていない分野を対象とするため、これまであまりギリシャで知られていなかった日本画や新版画についての講演も積極的に行っています。ギリシャではまったく知られていなかった日本美術を紹介する活動に先鞭をつけたことに私は誇りを持っています。
関心の高かったテーマが何かという質問には答え難いのですが、あえて言うなら数年前に行った日本の焼き物に関する講演が、聴講者の多さやその熱意から印象深く思い出されます。また仏教だけでなく、神道に関する講演も多くの聴講者を集めましたし、比較的新しいテーマでは日本画と新版画に関する講演や、またあらゆる世代のギリシャ人に人気の俳句に関する講演にも関心の高さが伺えます。
最後にGreeceJapan.comの読者に対して先生から一言お願いいたします。
GreeceJapan.comの読者の方々には、ギリシャ人が日本を愛し、その文化に対して大きな興味を抱いているということは周知の事実であろうと思います。是非この事実を、日本でもっと広めていただきたい。定年も間近の私自身のためでなく、将来のために、また支援の手が十分に届かず孤独感を抱いて研究を続けるギリシャの日本研究者たちのために、皆さんの力をお借りしてギリシャで日本学を醸成するための機関の創設にお力添えをいただきたいと思います。
ギリシャと日本の間には、何故だかは分かりませんが、言葉では説明しがたい深く密かな心の繋がりがあると私は確信しています。この繋がりを皆で育てていければと思っています。
ありがとうございました。