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ギリシャを代表する女性歌手ハリス・アレクシーウが今年6月歌手生活からの引退を表明した。
70年代初めにデビューして以降半世紀あまりに渡って文字どおりギリシャ歌謡界の第一線で歌手として活躍し続けて来た彼女は、これまで1994年(平成6)に来日コンサートを行った日本を含め、世界各地をコンサートのために訪れている。
そんなアレクシーウの歌声に魅せられた音楽家のひとりが、美空ひばりの『愛燦燦』をはじめ数々のヒット曲で知られる音楽家にして歌手・小椋佳だ。
GreeceJapan.comはそんな小椋佳氏に独占インタビュー。ひとりの音楽家として、歌い手として、親交のあったアレクシーウとの思い出から自らとギリシャとの絆まで、率直な想いを語っていただいた。
ハリス・アレクシーウが先日歌手引退を発表しました。1994年の来日コンサートでは小椋さんの「シクラメンのかほり」を歌うなど親交のあったお二人ですが、アレクシーウとの絆についてお話しいただけますか。
僕より年下だったんだね。引退かあ、残念だなあ。
きっかけは、ラジオか何かでアレクシーウの歌を聴いたことかな。素晴らしい歌だなと、声に力があって。ギリシャの歌には独特の節回しがあるけれども、それも完璧で。素晴らしい歌い手さんがギリシャにいるんだなあ、と思って興味を持ってました。そのうち、レコード会社を通じて交流を持つようになって、僕がギリシャに旅をした時彼女に自宅に呼んでいただいて、ゆっくりお話ができました。
当時ギリシャの歌手のほとんどが夜中開いてるレストランとかナイトクラブで歌うのが当たり前の中で、唯一アレクシーウだけはホールに人を集めてコンサートが出来るという、そういう立場の人でした。歌を聴けばそれもさもありなんと思うような、そんな人だったね。
その後親しくなって…東京に来た時コンサートで僕の「シクラメンのかほり」を日本語で歌ってくれたんです。嬉しかったなあ。
あなたにとって、アレクシーウの歌の魅力とは何でしょうか。
まず声圧が強い、声に力があるっていうこと。それから日本のコブシとは違う、細やかなギリシャのコブシ廻しが完璧でしたね、歌唱技術も優れていて。アレクシーウのCDは繰り返し聴きましたよ。彼女は歌謡曲だけじゃなくて、ギリシャの古い歌を歌わせてもうまかった。日本のコブシとは音運びが違う細かいコブシを使って歌うんだけれども、これがうまいんだよなあ。何とも言えずいいんですよねえ。
どのCDが一番お好きですか?
「ノスタルジアの夜」(*1)が入ってるアルバム『祈りをこめて』(*2)かな。この歌は、僕のアルバム『テオリア』で日本語の詞をつけて「Goodbye America」のタイトルで歌いました。アレクシーウの真似して歌ったんだけど、彼女みたいには歌えなかったな。
『テオリア』のアイデアは、ギリシャへの旅からインスピレーションを受けたと。
そう、ギリシャへ旅をして、ベーシックにブズーキの音を多用して、地中海風の音で歌を歌いたいなと思ったんです。
ブズーキといえば、小椋さんのコンサートでブズーキを演奏するミュージシャンがいて驚きました。
あのブズーキはね、そのギリシャの旅で買ったもので、今も舞台で使ってます。あの音が好きでね、ギターとはまた違う音色でいいなと思うんですよね。
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小椋さん自身はまた新しいアルバムをリリースして、そこでギリシャの歌を歌われるおつもりはありますか?
来年喜寿(77歳)になるんですよ、僕。70歳で生前葬(*3)をやってるから、本当はとっくに終わってなきゃいけないんだけど、なんとなく生き延びて、余生になってるのにまだ歌ってるけど、そろそろ来年くらいが潮時じゃないかなと思ってます。アレクシーウが残念ながら声が出なくなったって言うけれども、僕自身も聞いてみると昔の自分の声と今の声と歌の声がまったく違う。もう昔の声は出なくなったなあ、って自分で思ってますから。歳取りましたね。
アレクシーウも潔いいなあ、それで辞めるっていうのは。なかなかあれだけの歌い手さんは出てこないだろうね。当時はギリシャ音楽をよく聴いていて、52歳くらいの頃はギリシャ語もわかるようになって、ずいぶん好きでした。もう1回ギリシャに行こうとは思ってましたけど、とうとう行かないままになっちゃった。
出来れば一度はアレクシーウと小椋さんと一緒のステージに立ってもらえたらと。
やれるもんならやりたかったなあ。でもアレクシーウの隣で歌ったら僕なんか圧倒されちゃうだろうけどね。あの声圧はすごいよ、大したもんだと思ったよ。
ギリシャに行こうと思われたきっかけは何でしょう。
ちょうど僕が東大の哲学科に再編入する直前、50歳になる直前の冬にギリシャに行きました。哲学の大本の国に行ってみようと思ってね。
これ、ステージでもよくふざけて言うんだけれども、僕が若い頃東大を卒業した時、茅(かや)さん(*4)っていう有名な総長が訓話の中で「諸君、太った豚になるより痩せたソクラテスになれ」って言ったんですよ。痩せたソクラテスになれっていい言葉言うなあ、って思ってずっと覚えてたんだけれども、ギリシャに行って見たソクラテスの像は全然痩せてなかったし、男どもの風貌もみんな哲学者みたいに見えたけど、話してみたら普通でびっくりしちゃった。そんなことが印象に残ってます。
ご自分の音楽人生にとって一番大きな出来事は何でしょうか。数々のヒット曲が印象的ですが。
運に恵まれたんだろうなあ。歌のヒットっていうのは、歌がいいからだけじゃないから。歌が出た時の環境なんかにも左右されるからね。どうやったらヒット曲が出るのか僕もいまだに分からないけれども。そういう意味じゃ何曲かは恵まれましたよね。
お仕事と音楽活動と、どうしたらこれほど長い間両立できたのでしょうか。
やっぱりね、若くてエネルギーがあったんだろうね。僕は体育会系の男でしたから、小、中、高、大学と運動部に所属して、体をずっと鍛えていた。それが自分のエネルギーに振り替わっていたんでしょう。銀行に入った時なんか、眠るのも惜しかったもの。若い頃は努力とか苦労とかしなくてもどんどん歌が自然に湧いてきましたね、あれは不思議だけど。その当時だったら一曲詩曲がだいたい3時間で出来ましたもんね。今は3日間あっても付けられない。もう全然体力がもたない。あの頃は僕もエネルギーがあったんだなあ。
アレクシーウもどういう努力をしてあれだけ偉大な歌手になったか分からないけれども、彼女には天賦のものがあるんでしょう。生まれつき持ってた声ってのがあったんだろうなあ。
最近は詞を書くのも苦労してますよ、本当に。自分で書いてて「あ、この言葉前にも使ってるよ」と思うと破っちゃう。僕も来年喜寿になるから、潮時なのかなと思ってます。
アレクシーウの引退の理由も年齢というより声が出なくなったということですが。
相当誇り高い人なんじゃないかなあ。自分を許せなくなっちゃうんですよね、きっとね。僕もそういうところがあるなあ。アレクシーウが声が出ないって言うけれども、僕は体だね。体が相当衰えてるなあ、と感じてるから。歌うのがあんまり最近好きじゃないんですよ。少年の頃はね、ほんっとに歌が好きでね、自分は歌ってさえいれば満足だったもんね。今歌うことが苦痛になってるもんなあ。
昔はどんな歌を聴かれていましたか。
僕の家が料理屋だったから、聴いてたのは和物です。母親が座敷で歌う三味線唄、小唄、長唄、浄瑠璃、それから田舎から野菜を担いで来るおばさんらと一緒に浪花節をやってましたね。あと父が琵琶の歌をよく歌ってました。それが僕のスタートです。
ギリシャの音楽を聴かれて、ギリシャに行かれて、小椋さんの音楽に影響はありましたか。
サウンドは変わりました。あとはさっき言った「Goodbye America」なんかはそのままもらったし。それからギリシャの旅の間に作ってる歌の詞がちょっと理屈っぽくなったかな、当時哲学をやろうと思ってたから。『テオリア』を作った時には地中海サウンドっていうイメージで全部作ってくれってアレンジャーにお願いしたし。
それに『テオリア』っていうタイトルも僕なりに納得いくタイトルだった。日本語で言うと「観想(かんそう)」って言えばいいのかな、「よく見てよく思う」っていう意味で。ギリシャの昔の哲学者が「最高の生き方とは人間観想である」ってことを言ったことがあるんですよ。
アレクシーウももう一回来ないかな。しゃがれ声でいいから来て歌ってほしいなあ。彼女のためなら歌も作りたいと思うしね。そういう人です、僕にとっては。小椋が辞めないでくれって言ってるって伝えてくださいよ。声が出ないっていうなら、呟き、囁き声で歌を歌ってくれてもいいですよ、あの人なら。日本人はよく外国のトップの歌手を例えて「どこそこの美空ひばり」っていうような例え方をするけど、僕はアレクシーウを美空ひばりに例えたくはないなあ。全然違うから。でも、声が出なくなった自分が許せないと…矜持のある人なんでしょうね。
彼女のために一曲作っていただいて、一緒に歌っていただきたいなと。
会えるのならね。日本人は声が落ちたなんてことは分からないから、ずうずうしく来て、日本でコンサートをやってほしいなあ。もし来てくれるなら、僕のコンサートのステージには客演で出てもらうよ。枯れた声でいいんですよ。
それでは最後に、アレクシーウに一言メッセージをいただけますか。
年寄りじみず若ぶらず、毎日を一所懸命に生きてくださいって伝えたいなあ。命ある限りアレクシーウは歌手だと、彼女自身もね、自分は歌手以外の何者でもないって思ってると思うんだよね。ぜひ一緒に歌いましょう。
ありがとうございました。
1) 「ノスタルジアの夜」…ギリシャ語原題:H δικιά μας ψυχή (Αμέρικα)
2) 『祈りをこめて』…発売:オーマガトキ/1993年/ギリシャ語原題:Δι’ ευχών
3) 2014年9月12~15日の4日間連続で東京・渋谷のNHKホールで行われた「生前葬コンサート」
4) 茅 誠司(かや せいじ)/東京大学第17代総長:1957年(S32)~1963年(S38年)