旧手賀教会堂:現存する日本で唯一の転用教会堂(photos)

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旧手賀教会堂は、千葉県柏市に保存されている正教会の旧教会堂だ。現存する日本で唯一の転用教会堂であるこの教会堂は、1881年(明治12)近隣の茅葺屋根の民家を移築・転用し建てられたもので、首都圏で現存する教会堂としては最古のものであるという。

1873年(明治6)日本でキリスト教が解禁された後、1881年(明治14)この地に手賀ハリストス正教会が設立。手賀沼周辺に多くの水田を所有し、明治維新の激動の中で新たな知識の習得に意欲的な人々が信徒として集い、信仰を深めた。

保存修理工事完了後、2021年4月から一般公開を再開した旧手賀教会堂

この地にロシア正教の修道士ニコライが伝道に訪れたのは教会堂が建てられてから10年あまりが経った1892年(明治25)。1946年(昭和21)から開始された干拓事業により現在は水田が広がる教会堂の眼下には、当時手賀沼の水が滔々とたたえられた美しい景色が広がっていたといい、ニコライはその風景を飽きずに見つめていたと今に伝えられている。

往時の姿を今に再現した教会堂内部の様子

旧教会堂に掲げられているイコンのうち至聖生信女(聖母マリア)・主全能者(キリスト)・機密の晩餐の3点は、日本初のイコン画家として知られる山下りん(1857-1939)が描いたものの複製が飾られ、非公開とされている本物は新教会堂に移設され、今も信徒らに崇拝されている。

教会堂の聖所に掲げられたイコン。左右・中央上のイコン(複製)は山下りん筆。
王門(中央扉)のイコン。左上から時計回りに聖使徒福音者マトフェイ、聖使徒福音者 神学者イヲアン、聖使徒福音者ルカ、聖使徒福音者マルク

1892年(明治25)布教巡回のため悪路をものともせず手賀教会を訪れたニコライは、教会堂から眼下に望む手賀沼の様子をあきずに眺めていたと伝えられている
イコンの最初期に活躍した日本初のイコン画家・山下りんの姿と彼女が描いた須賀教会(千葉県匝瑳市)のイコン
洗礼に用いられたと伝わる長径約80cm、短径約65cm、高さ約50cmの木桶
美しい茅葺屋根の軒下すぐの右側には、ニコライが訪れた明治の頃、手賀沼への船着き場があったという
建物が教会堂であることを今に残す十字の窓枠

第二次世界大戦中・戦後には、戦火を逃れて疎開した者や戦災で家を失ったりした家族らが暮らしていたこともあったというこの教会堂は、戦後破損が進み、1974年(昭和49)旧教会堂から東へ600m程離れた位置に新たに教会堂(新手賀沼教会堂)を新築。残された旧教会堂は当時の沼南町(現・柏市)が取得した後、1975年(昭和50)・2020年(令和2)の2回に渡って修復整備が行われ、2021年(令和3)4月1日に一般公開が再開。現在は千葉県指定有形文化財・柏市指定史跡の指定を受け、明治から続く信仰の貴重な遺構を今に伝えている。

新手賀沼教会堂(手賀ハリストス正教会):聖体礼儀は毎月1回第3土曜日に行われている
新手賀沼教会堂と山下りんの聖画(イコン)に関する解説

教会堂へのアクセス

最寄駅のJR成田線(我孫子支線)湖北駅
湖北駅から、新旧教会堂のある手賀地区を奥に望む水田地帯
ニコライが眺めた手賀沼では、1946年(昭和21)から開始された干拓事業により現在は水田が広がっている

手賀川
水田地帯の向こうに立つ旧手賀教会堂への道標

手賀沼について

photos: Junko Nagata ©GreeceJapan.com

 

教会堂の地図

永田 純子
永田 純子
(Junko Nagata) GreeceJapan.com 代表。またギリシャ語で日本各地の名所を紹介する  IAPONIA.GR, 英語で日本を紹介する JAPANbywebの共同創設者。

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