(インタビュー:永田純子)
マリオ(マリオス)・フラングーリスが日本に初来日したのは、まさに日本中が五輪一色に染まった2004年のアテネオリンピックの年でした。カラヤンが愛したギリシャ人メゾソプラノ歌手アグネス・バルツァも公演を行った渋谷Bunkamuraで行われたコンサートで日本の観客たちを魅了した彼の唄は、ギリシャ国内外に生きるギリシャ人たちのみならず、音楽を愛するあらゆる国の人々をも魅了したのです。
今回は、真の意味でワールドワイドなキャリアを築いた稀有なギリシャ人アーティスト、マリオ・フラングーリスにGreeceJapan.com が2016年7月唯一の日本メディアとして敢行した独占インタビューを改めてご紹介します。
北海道公演で客席でギリシャ国旗を掲げて彼を迎えたファンがいたことでもわかるように、10年以上の時を経てなお日本のファンに愛されるその秘密が見えてくることでしょう。
マリオ・フラングーリスは世界中に数多くのファンをもち、国際的な成功を収めたギリシャ人アーティストの一人だ。2004年自身のインターナショナル・デビュー・アルバム「マリオ・フラングーリス」を手に渋谷Bunkamuraでソロコンサートを行ってから12年という時が流れた今、彼はついに日本のファンの前にさらに円熟味を増した声とともに帰って来た!
サラ・ブライトマンと札幌を皮切りに仙台、東京、金沢、大阪、そして名古屋まで1か月余りのコンサートツアーを精力的にこなしたフラングーリスとGreeceJapan.comは大阪・オリックス劇場で対談。公演直前にも関わらず、満面の笑みでキャリアの原点から現在の自分を作り上げた数々の出会い、ギリシャ人としての誇り、そして日本のファンへの熱い思いと近い将来の日本公演の実現まで、自らの想いを熱く語ってくれた。
奇跡とも思える数々の出会いを経て、静かに、しかし熱く自分自身の信じる道を行くギリシャ人-マリオ・フラングーリスから、これからも目が離せそうにもない。
インタビュー:永田純子(Junko Nagata)
7月7日(木)札幌を皮切りに日本全国で行われているサラ・ブライトマンとのガラ・コンサートですが、サラとの共演について、そしてコンサートの印象についてお聞かせください。
サラとはアメリカとカナダで2008年に40公演を行って以来のコンサートということで、とても感激しています。今回は日本をはじめ韓国、中国、台湾といったアジア各国を回る予定です。今日までに日本各地で既に9公演を行いましたが、この素晴らしい旅も残すところあとわずかとなりました。
今回の日本公演では、才能ある若手カウンターテナーのナルシス、そして数々の賞に輝く素晴らしいピアニストのディ・ウーと共演しています。また、ステージはメリル・ストリープとの仕事で知られる演出家のアンソニー・ヴァン・ラーストが手掛けてくれましたが、これもとても気に入っています。
優れた演出家である彼が作り上げたこのステージこそ、サラ・ブライトマンが求めたエフェクトやダンスに頼らない、声と各々の才能に重点を置いたクラシックなコンサートそのものなのです。私もこういった表現方法が好きですから、とても嬉しい思いです。特に今回は一流のマエストロ、ポール・ベイトマンが指揮するオーケストラをバックに歌うことができる訳ですから。
もちろんサラ・ブライトマン自身についても、アーティストとして、そして人間として素晴らしい人であるということは言うまでもありません。
彼女と知り合ったのは今から30年ほど前のことで、1988年のロンドンでの出会いがすべての始まりでした。その時私は『レ・ミゼラブル』に週8回出演していて、サラは当時出演していた『オペラ座の怪人』の公演のためにすぐにブロードウェイに戻らなければなりませんでしたから…こうして二人の道は分かれてしまいましたが、今、再び同じ舞台に立つ機会を得ることができました。
今回のアジアツアーへの出演の話が来た時、私はギリシャ人の若手歌手ヨルゴス(ジョージ)・ペリスとツアーの真最中でしたので、本当に驚きました。何しろ私に7月のひと月、スケジュールを空けてほしいと言うのですから。ご存知のとおり、ギリシャで7月という月は、国中で数多くのコンサートが行われる一年の間で最も重要なひと月です。こうして、サラとのコンサートツアーに参加するために、ギリシャで予定していたおよそ15公演ほどを中止・延期することになりました。
今回のコンサートでの日本の観客の反応はいかがでしたか?きっとあなたの来日を待ちわびていたことと思います。日本にもあなたのファンは少なくありませんから。
私も日本のファンのみなさんを愛しています。
日本の観客のみなさんは教養があり、他者を尊重するとても礼儀正しい人たちです。これは、遠い国からやって来て、観客からの素晴らしいリアクションを期待するひとりのアーティストにとってとても重要なことなのです。
コンサート初日の7日(木)、会場となった札幌・北海きたえーるで私は大きなギリシャ国旗を掲げた人たちが来てくれていたのを目にしました。はじめ私は彼らはギリシャ人なのだろうと考えていましたが、すぐに気づきました…それが日本人だということに!胸に熱いものがこみ上げ、とても誇らしい思いでいっぱいになりました。
2004年にも東京・渋谷のBunkamuraでのソロコンサートで同じように日本を訪れる機会がありましたが、これも忘れがたい経験です。
その時の経験についてお話しいただけますか。
初めて日本に来た時、まるでもう一つの自分の家に戻って来たような感覚がありました。私に対する日本のみなさんのふるまいにとても落ち着くというか、心安らぐというか…。今回も同じように感じています。
そんな感覚に心をゆだねつつ東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と共演した2004年のコンサートは、私にとって忘れがたい経験でした。
ギリシャの誇る偉大な作曲家ミキス・テオドラキスがチリのノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの詩に曲をつけた『Canto General(大いなる歌)』を演奏した時間は、まるで魔法のようでした。たくさんの打楽器とオーケストラの力強さ、そして彼らの音楽性がホールに素晴らしい雰囲気を作り出していたのに加え、才能ある日本人ソプラノ歌手である森 麻季の美しい声が、コンサートに華を添えていました。
彼らとは、いつかギリシャでも共演する機会があればと願っています。
そんなあなたのアーティストとしてのキャリアの転換点になった出来事は何でしょうか。
大きな転換点はいくつもあります。
まず、1988年にロンドンでミュージカル『レ・ミゼラブル』のマリウス役を初めて演じたことがそのひとつでしょう。
ギリシャからやって来て、劇場での経験も少なかった私はロンドンの名門校ギルドホール・スクール・オブ・ミュージック・アンド・ドラマに留学して3年間それこそ1日のうち12時間以上をレッスンやリハーサル、公演に費やしました。
そんなある時、『キャッツ』『オペラ座の怪人』『エビータ』をはじめ数々のミュージカルを手掛けた名プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュのオーディションを受けました。オーディションに行って…これから何が起こるのかまったく分からないまま、『ウエストサイド物語』の「マリア」や古い英語のラブソングなどを歌った後、彼は私にマリウス役を演じるようにと言ったんです。
こうしてロンドンのウエストエンドでロマンチックなヒーローのひとりとして舞台を踏んだことが、私にとってとても重要な転換点だったことは間違いありません。この瞬間は、いつまでも私の中で忘れがたいひと時として残ることでしょう。両親同然に私を育ててくれた叔母ルーラと叔父ヨルゴスが私の姿を一目見ようとアテネから来てくれていたんですから。
また『オペラ座の怪人』を演じた時も、ひと際印象深い瞬間です。この時は尊敬するミュージカル界の巨匠ハロルド・プリンスと仕事をすることができ、1991年ブロードウェイで週8公演に出演しました。
その間にも、1989年にイタリアに行き、ヴェルディ音楽院で名テノール歌手のカルロ・ベルゴンツィからクラシック音楽を学んだことも忘れられない思い出ですね。
パヴァロッティ・コンクールで優勝されたご経験もおありですね。
これは今までお話しした経験から何年か後の話です。
1991年以降、本格的なオペラ歌手になりたいと考えた私は、より深くクラシック音楽の道に入ることを決意しました。
その時既にマリア・カラスとオナシス財団の奨学金を受けていた私は、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、そこで1992年から1995年まで学びました。ジュリアードでは、私をニューヨークに招いた優れたメゾソプラノ歌手のマリリン・ホールが私の指導役として、声とテクニックの秘密を教えてくれました。ルチアーノ・パヴァロッティに私を紹介してくれたのも彼女です。
ある日、カーネギーホールに近いパヴァロッティの自宅に行き、そこで初めて彼を前にガエターノ・ドニゼッティのアリア「人知れぬ涙(Una furtiva lagrima)」を歌いました。聞き終わるとすぐに、パヴァロッティは私にコンクールに出場するよう勧めたんです。
こうして出場したパヴァロッティ・コンクールで優勝したことはとても重要なことでした。なぜなら私はこのコンクールで優勝したはじめてのギリシャ人だったからです。
世界中から優れた若手のクラシック歌手が集うこのコンクールはそれは大きな規模のものでした。しかし経験もなく、ただただコンクールが開かれるフィラデルフィアに行くんだ、という内なる衝動と希望を胸にひたすらに突き進んでいた私が、最後には勝利者としてニューヨークに、師であるマリリン・ホーンのもとに勝利の喜びを運ぶことができたのです。
もうひとつ、記念すべき瞬間をあげるとすれば、世界遺産に数えられるギリシャ・エピダヴロスの古代劇場でギリシャの誇るカロロス・クーン劇団と共演する機会を得たことでしょう。この時私は古代劇場で、オスカーを獲得したことで知られるギリシャの著名作曲家マノス・ハジダキスが古代喜劇の詩人アリストパネスの喜劇『鳥(ギリシャ語原題:Όρνιθες /オルニセス)』のために作曲した歌を歌ったのです。
あらゆる尊敬の念をもって、私が世界で最も優れた音響を持つと言ってはばからないこの劇場の片隅で、遥かなる我々の先達たちが踏みしめてきた地に足をおろすことは、私の人生の夢でした。自分がギリシャ人であること、そして人がエピダヴロスと呼ぶこの世の奇跡に立つことができ、どれほど誇らしい思いを感じたことでしょうか。
またアテネの古代劇場イロディオ・アッティコンで作曲家ミキス・テオドラキスとともに彼の代表作『アクシオン・エスティ』を歌った時のことについてもお話ししなければなりません。ギリシャの誇るノーベル賞詩人であるオディッセアス・エリティスの代表作を楽曲化したこの作品を、ギリシャを代表する作曲家自身が託してくれたということは、私にとってとても大きな意味をもつ出来事だったのです。
そしてもちろん、ソニー・クラシカルと契約を結ぶことができたこともそのひとつです。当時のソニー・クラシカルの責任者で後にニューヨーク・メトロポリタン歌劇場総裁に就任したピーター・ゲルブは、私のインターナショナル・デビュー・アルバム「マリオ・フラングーリス(原題:Sometimes I Dream)」で、私に世界に通じる扉を開いてくれました。このアルバムのプロモーションもあって、日本を訪れることができたのですから。
ギリシャ以外の国でも、ギリシャの歌を歌われたことはおありですか。
アメリカ、アジア、アフリカ、そしてヨーロッパ各国と世界中でギリシャの歌を歌ってきました。
日本のファンの皆さんにもっとたくさんのギリシャの歌を聴いていただくために、来年コンサートツアーが出来ればと思っています。もちろんその時にはマノス・ハジダキスやミキス・テオドラキスは外せませんし、これまでに何度も仕事をして来た作詞家でプロデューサーのパラスケヴァス・カラスーロスの作品も加えない訳にはいかないでしょう。
あなたが最も愛するギリシャの歌は何でしょうか。
そうですね、まずは私の愛する3人の作詞家についてお話ししましょう。
翻訳家・詩人としても知られるニコス・ガッツォス(1911‐1992)、女性作詞家として不動の地位を築いたリナ・ニコラコプール、そしてパラスケヴァス・カラスーロスです。
カラスーロスとは何度も一緒に仕事をしましたが、彼ほど誠実な詩人を私は他に知りません。そしてリナ・ニコラコプールはギリシャ歌謡界の表現のあり方を変えた人物です。
ガッツォスが作詞した私が最も愛する歌「ハルティノ・ト・フェンガラキ(紙で出来たお月さま)」は、この上なく簡潔な表現であるにも関わらず大変美しい曲ですが、ニコラコプールはこの曲を作曲したガッツォスからその伝統を受け継ぎつつ、新たな表現を生み出すことに成功しています。
この「ハルティノ・ト・フェンガラキ(紙で出来たお月さま)」は実は歌うにはとても難しい曲です。それは、歌う者は常にテクニックと感情表現との間で葛藤せねばならないからです。この葛藤の中では、自分自身に訓練により得たテクニックがあるだけでは十分ではありません。外側だけでなく、内面からも表現者であることを求められますし、歌う時、自分自身が声とこの歌を映す鏡にならなければいけません。
テクニックや声楽的には難しい歌ではありませんが、歌う者のすべてをそこに込めなければならない、そういう意味でこの「ハルティノ・ト・フェンガラキ(紙で出来たお月さま)」も私にとって特別な歌のひとつです。
舞台の上で、観客と歌い手との間にかかる小さな橋-それこそが互いを映し出す鏡であり、またそれはコンサートという生きた歌を味わう場で観客と歌い手との間だけに共有される瞬間であり、両者との間にのみ生まれる特別な感覚なのです。
このツアーの後にはギリシャへ戻られるということでしたが。
そうです、戻ってヨルゴス・ペリスとのツアーを続ける予定です。ギリシャの歌だけを歌いながら彼と夏の間ギリシャ各地を回ることにしています。私たちの故郷ギリシャを、またギリシャ語を支えることができたらという思いからです。
ギリシャは経済的にも、社会的にも困難な時代を生きています。だからこそ、私たちの言葉と想いの中から、世の中に希望と愛を与えていきたいと思っているのです。
また今年9月27日(火)には、アテネの古代劇場イロディオ・アッティコンでコンサートを行いますが、これは撮影されてアメリカで上映される予定です。
今夏のギリシャでのツアーの後の予定はもうお決まりですか。
ギリシャでのツアーの後は、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団と共演した昨年リリースのクリスマスアルバム「Tales of Christmas」を持ってアメリカに行く予定です。昨年から始まったこのコンサートも今年は第2シーズンを迎え、新たな気持ちで取り組み続けるつもりです。
日本であなたが歌うギリシャの歌が聴ける日を楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました。
(インタビュー: 2016年7月21日(木) 大阪・オリックス劇場)
CD Data(日本盤):
「マリオ・フラングーリス(原題:Sometimes I Dream)」(Sony Classical/SICP 319/2002年)
「フォロー・ユア・ハート(原題:Follow Your Heart)」(Sony Classical/SICP 633/2004年)
CD「マリオ・フラングーリス」に収録された唯一のギリシャ語曲『幼い頃の自分を連れて』: