起業を勧めるソクラテス-古代ギリシアと資金調達

アテナイの国庫だったとされるパルテノン神殿(筆者撮影/アテネのアクロポリス)

古代ギリシャにおける感染病との闘いを描き、読者の皆さまをはじめ幅広い方々から反響をいただいた連載『歴史から読み解く人類VS病原体の死闘-古代ギリシアと医療・病気』の執筆者・遠藤昂志がご期待に応えて再び現代と古代ギリシャをつなぐ連載を発表!

『古代ギリシアと国際貿易』と題した全3回の新シリーズ、最終話の第3回は「起業を勧めるソクラテス-古代ギリシアと資金調達」と題して、いつの時代も商業活動において最も重要であり、古代ギリシャから現代にいたるまで変わらぬテーマであるビジネスにおける資金調達について、古代の事例をひもときつつ解説します。

第1回「古代にもあったサプライチェーン―古代ギリシアと水平分業」
第2回「古代にもいた「商社マン」の営業力―古代ギリシアと商売人」


「起業しよう!」と思い立った現代日本人は、どのように事業を興すための資金を集めるのでしょうか?私は起業したことがないのでこの分野にあまり精通していませんが、おそらく銀行からお金を借りたり、投資家から出資してもらったりするのではないでしょうか。実は、古代でも全く同じです。古代ギリシア人も、銀行でお金を借り、もしくは投資家から出資してもらい、起業するのです。

◆神からお金を借りる?古代の銀行

世界遺産で名高いパルテノン神殿は、実は神殿ではなく、国庫だったという有名な説があります。極めて重要な宗教設備である祭壇が発見されておらず、尚且つ奥室に資金へ転用できる高価な聖財が保管されていたことから、実際は神殿ではなく、モニュメンタルな宝物庫であったとされているのです(*1)。この真偽はさておき、当時の神殿や聖域は、パルテノン神殿のように資金面で余裕があり、起業したい古代人たちに積極的に貸し付けを行っていました。ある意味、古代における銀行だったと言えるでしょう。

例えば、紀元前5世紀のアッティカ地方北部にある復讐の女神ネメシスの神殿では、1人200ドラクマの融資を行った碑文があります(*2)。1ドラクマは労働者の日当に等しい金額だったので、200ドラクマは当時にしてはそれなりの金額です。これが1年で合計37,000ドラクマに上ったということですから、単純計算で185人がこの融資を受けたということになります。活発な取引があったことの証左ですね。「復讐」、「融資」と聞くと、某「倍返し」を思い浮かべますが、彼も復讐の女神の加護があればこそ粛々と倍返しできているのかもしれません。笑

神殿とは別に、職業としての銀行家もいました。彼らは元々は両替商でしたが、顧客の要望に応えて次第に金融サービスを拡充させていきます。紀元前4世紀頃には預金や貸付といった銀行業務も手掛けるようになっていました(*3)。古代ギリシア人も、現代の私たちと同様に、銀行口座に資金を預け、必要とあらば融資を受けていたのです。

かの高名な哲学者ソクラテスは、社会情勢の悪化で貧困化した友人アリスタルコスに、お金を借りて起業することを勧めたことがあります。最初、その友人は借金をしてまで起業することを渋りますが、ソクラテスの説得で以下のように決意を固めます。

「君の言うところはいかにも正しいようだ、ソークラテース。いままで私は借金してもこれを使ってしまったら、返しようがないのを知っていたので、借りる気になれなかったが、今度はおかげでわかったから、仕事の資本に勇を鼓して借りて見るとしよう。」(佐々木理訳(*4))

借り受けた資本を元に羊毛を買い込んだその友人は、織物業の起業に成功し、家族を養うことができるようになりました。彼の借入先が銀行家なのか神殿なのか、詳しいことは分かりませんが、この逸話からは起業のための融資が当時普通に行われていたことが伺えます。現代同様、一般人にしてみれば起業はハードルが高かったのでしょうが、その資本金は容易に入手することができたのです。

◆儲かる投資先は?ハイリスク・ハイリターンの海上貿易

株にせよ不動産にせよ、投資で大幅な利益を出そうと思えば、何であれリスクが付き纏うものです。業績や市況の悪化等で暴落すれば、資産の毀損は避けられません。一方で、順調に事が進めば、銀行口座に貯金を眠らせておくよりも圧倒的な利益を得ることができます。古代においても、それは全く同じでした。もちろん、古代には株もビットコインもありませんでしたが、ハイリスク・ハイリターンの投資先としては、海上貿易事業がありました。海上貿易のリスクは、海賊や難破の危険性等、枚挙に暇がありません。しかし、サプライチェーンが発達していた古代ギリシアでは、需要と供給を結びつけることで多くの富を得ることができました。通常の投資が10~12%の利回りであるのに対し、海上投資は22~30%にも及びます(*5)。よって、比較的富裕な市民はリターンの大きい資産運用として、海上貿易事業に出資していました。

ヘラクレイア(黒海)人アガトン一族の豪華な墓域。アテナイに移り住んだ後、おそらく市民から出資を受けた黒海方面の海上貿易事業によって財を成したと想像できます。(筆者撮影/アテネのケラメイコス遺跡)

紀元前4世紀頃に活躍した弁論家デモステネスが書いた法廷弁論の中には、契約不履行を巡っての商業訴訟も含まれているのですが、その中に、当時の海上貿易の契約内容が記されています。これを読めば、古代の投資の実態をある程度掴むことができます。

スフェットス区のアンドロクレスとカリュストス区のナウシクラトスは、ファセリス人のアルテモンとアポロドロスに、アテナイから、メンデ(ギリシア北部)へ、あるいはスキオネ(ギリシア北部)へ、それからボスポロス(黒海のクリミア半島)へ、そしてもし望むならば、黒海の左側にあるボルステネス(ロシアのドニエプル川)までの航海のために、1000ドラクマにつき225ドラクマの利子で、3000ドラクマの貸し付けを行った。他方、うしかい座が昇った後にポントスからヒエロン(黒海のトルコ側)へ出航した場合は、1000ドラクマにつき800ドラクマの利子となる。メンデ、あるいはスキオネから、ヒュブレシオスの指揮する20櫂の船へ荷積みされるであろう、メンデ製のワイン3000壺を担保とする。(中略)もしアテナイへ無事到着したら、債務者は契約に基づき、支払うべき金額(資本金と利子)を、到着後20日以内に債権者へ返済する義務がある。乗組員共通の合意によって(沈没しかけた船を救う為に積み荷を)投げ棄てたり、敵(海賊等)に何か(身代金を)支払ったりという損失が出ていない場合には。(筆者翻訳(*6))

カタカナばかりで読みにくいかと思いますが、要は黒海を目的地とした海上貿易のために3000ドラクマを利息付で借り、途中で立ち寄るギリシア北部で荷積みすることになっているワインを担保としているわけです。途中、うしかい座が昇った後の利子が上がるのは、季節が秋になって海が荒れやすくなり、難破のリスクが上がるからです。リスクに比例して債権の利息が上がるのは、古代からの慣習だったようです。

この契約の面白いところは、保険という概念が成立しているところです。最後の行には、船を救うためにやむを得ず損害が出た場合には、通常の返済義務は適用されないことが記されています。債権者は、上記損失分の金額を請求することはできず、債務者と損失を共有しなければなりませんでした。もちろん、残った資金や商材については債権者が回収できましたが、このような損保制度が安心材料となり、海上貿易の起業を促進させたことは想像に難くありません。

このように、私たちが資本主義の枠組みの中で常日頃行っている事業活動は、実は古代人も経験していたのです。起業したければ、投資家や銀行家と交渉して資本金を入手し、その資金で労働者を雇い、万一のために保険に加入し、事業活動で得た利益を元に債権者に返済し、残った資金で生活費や次の活動費を捻出する…。確かに、当時は法人や株という概念はありませんでしたが、本質は現代と変わりません。この仕組みを最大限利用し、古代のビジネスマンたちは次々と大海原へと乗り出して、古代のサプライチェーンを発達させていったのです。冒頭で紹介した哲学者ソクラテスも、このことを熟知していたに違いありません。

「現代はグローバル化の時代だから…」「国際課題に対応できるようにサプライチェーン強化しなければ…」とよくニュースで聞きますが、2000年以上昔の古代ギリシア人も全く同じことを思っていたかもしれませんね。

(注)
1) 周藤芳幸・澤田典子『古代ギリシア遺跡事典』, 東京堂出版, 2004, p61
2) IG, I3, 248
3) 明石茂生「古代東地中海地域における国家、貨幣、銀行:アテナイ、エジプト、ローマを中心に」『成城・経済研究』第217号, 2017, p22
4) クセノフォーン(佐々木理訳)『ソークラテースの思い出』岩波文庫, 1953, p107-108
5) Alain Bresson, “The Making of the Ancient Greek Economy: Institutions, Markets, and Growth in the City-states”, Princeton Univ Pr, 2015, p284
6) Demosthenes, Against Lacritus, 35.10-11 ()内は補足情報

遠藤 昂志
遠藤 昂志
1993年千葉県生まれ。法政大学国際文化学部卒。日本ギリシャ協会会員。古代史研究会会員。現在は大手メーカーに在籍。ギリシア神話をテーマとしたゲーム “God of War”シリーズの影響でギリシアが好きになり、古典ギリシア語・現代ギリシア語を独学で学ぶ。京都大学大学院にて開催の古代ギリシア碑文・弁論の研究会に参加中。日本ギリシャ協会の会報誌においては、ギリシア神話の神々についての解説記事を連載中。ギリシア語教室エリニカでは、ニコス・カザンザキス作品の翻訳活動に参加中。

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