まずは、アテネでの「カヴァフィス、東京に行く」プロジェクトの開催おめでとうございます。 今回のプロジェクトは、これまでに行われたギリシャ‐日本関連のイベントの中でも特に興味深いものだと思います。どのようにしてギリシャの誇る詩人・カヴァフィスの詩をテーマにした学生たちによるアニメ作品を制作することになったのか、その経緯をお教えください。
ありがとうございます。
もともとは、バシリス・ブトス氏より、私個人で「SO WELL-SUITED」に出品しないかとのお話でした。その際、彼は私が美術大学で教えていることを知り、カヴァフィスの詩を使ったワークショップをすると面白いのでは?と打診してきました。
私の授業は、主にグラフィックデザインを専攻する学生を対象にしたアニメーション、映像制作を教えるものです。例年、最後の課題として、生徒一人一人が、オリジナルのショートアニメーションを作る課題を行っています。その最後の課題を、カヴァフィスの詩から連想されるアニメーション制作としました。
先生の指導される学生の皆さんが、100年近く前の詩人カヴァフィスの作品を読んだ時、どのような印象を持たれたのでしょうか。
やはり、かなりの違和感を感じたと思います。
私自身も、お恥ずかしながら、カヴァフィスを知りませんでした。しかし、生徒に出題する手前、大急ぎで『カヴァフィス全詩集』を読破しました。古代ギリシャ、ローマの事柄を、あたかも今見聞きしたかのよう詠う詩や、同性愛を主題にした詩など、なかなか手強い作品だと感じました。
生徒たちは、教養の授業でギリシャ文学や、ギリシャ美術史を選択している子もいましたが、大抵は最小限度の知識しか、持ちあわせていませんでした。そこで、まずは詩の中に現れる、古代ギリシャ、ローマ人などの名前を一つ選び出し、その人物について調べ、想像でも、模写でも構わないのでイラストを描く課題を設定しました。
提出された課題には、肖像画など全くなく、同時代の衣装などから推測して描かれたアンナ・コムニニ、完全にファンタジー全開の設定でか書かれたアポロン、おちゃらけたアイスキュロスなどがありました。
私はこれで、多少はカヴァフィスの世界観に親しみを持てただろうと、各自一つ詩を選ばせ、それに対するアニメーション制作へと移りました。
学生の皆さんはこの課題に取り組むまでに既にギリシャと何らかの関わりを持たれていたのか、またはこのプロジェクトが初めてのギリシャとの関わりだったのでしょうか。
学生は、初めての関わりだと思います。正直、彼らの認識は、ギリシャと言えばパルテノン神殿、程度のレベルです。
ただ、私は、以前、バシリス・ブトス氏が携わるアニメーションフェスティバル ANIMFESTへ2006年に出品したことがあります。ブトス氏とはそれ以来のお付き合いです。
カヴァフィスの作品からイメージされた印象をアニメ作品に落とし込む課題に取り組む中で、学生の皆さんと先生が最も苦労されたのはどんな点でしょうか。
幾つか考えられますが、ひとつはカヴァフィスの詩に現れる時代背景、思想、考え方に、共感する事がなかなか難しかった事だと思います。そのため、詩の中の単語であったり、一節に出てくる情景、風景からのを表現したり、認識のギャップそのものを表現に考えた生徒が見受けられました。
また、彼の性的な表現にも戸惑ったのも感じました。それについては、下記のページに書かせて頂きましたので、お読み頂けると幸いです。
一番の問題は、今回の作品が、彼らが初めて、自身で全工程に携わるアニメーション制作だと言うことです。そのため、簡単なカットでも試行錯誤で時間が取られ、思うような表現に辿りつけませんでした。しかし、もともとこの授業では、完成度はさほど求めていません。映像的な考え方、制作方法を知り、卒業制作への準備段階だと考えているからです。
そういう意味でも、今回の展示は作品展というよりは、ワークショップの成果発表であり、考え方の違いを発見する事を主に見て頂けると幸いです。
今回のアニメーション・プロジェクトと合わせて開催されるカヴァフィスの作品をテーマにした写真展「S O W ELL-S U ITED」に、先生もアニメとイラストを駆使した映像作品を出品されています。先生が取り組まれたpこのプロジェクトについてお教えください。
基本は、生徒たちと同じ工程を経て、制作しました。詩集を読んで、気に入った詩をアニメーションに落としこみました。やはり、個人的には、生徒に出題する手前、自分もやるべきだと思います。
今回、”And Lounged and Lay on Their Beds.” (邦訳『私はあそこのベッドに泊まった』)という題名の詩を選びました。これは、比較的エロティックな詩だと思います。これを選んだのは、生徒が作品に性表現を選ばなかった事によりますが、エロスの表現というものに、最近興味を持っていたので、丁度タイミング良く取り掛かれました。
多くの言語に翻訳されたカヴァフィスの作品は今も世界中で多くの人たちに愛されています。
学生たちによるアニメプロジェクト、そして先生が参加された写真展を通じて、なぜ今もカヴァフィスがこれほどまでにあらゆる国の人々の心を捕えて離さないのか、先生のご意見をお聞かせください。
正直、カヴァフィスは、日本ではさほど知られていないと思います。少なくとも私の周りには、私も含めいませんでした。それなのに、中井久夫さんによる、邦訳の全詩集があるというのもすごい事だと思います。
私は、残念なことにギリシャには行ったことがありません。なので、詩の中に漂う空気感を理解できません。また、世界というより主に欧米でカヴァフィスが受け入れられている理由には、古代ギリシャ、ローマに関する詩が多いからのように感じます。彼らの歴史感は古代ギリシャ、エジプト、ローマの世界をベースに構築されているがゆえに、すんなりとカヴァフィスの詩が体に染みこんで来るのではないでしょうか。それに対して、日本ではそこまで古代ギリシャに精通していないため、カヴァフィスに馴染みがわかないのかもしれません。
個人的には、全詩集を読み終えて、カヴァフィスのホモセクシュアルな見方と、退廃的で切ないイメージがかなり気に入りました。
ありがとうございました。