私たちは2015年東京・サントリーホールで行われたパノス・カランのコンサートに初めて訪れた。このコンサートで、彼は日本で開催されるすべてのコンサートと同様、その収益を福島青年管弦楽団(FYS)を支援するために寄付している。 それまで彼を親しく知る機会はなかったものの、2013年にあらためて投稿された彼のひとりの活動家としての東北旅行の映像は感動的なものだった。
2011年に起きた悲劇から深刻な打撃を受けた地域の避難所で、彼が開催したささやかな、しかし数えきれない「コンサート」で、彼自身が演奏する電子ピアノの音が、聴衆をはじめ震災の被害に震える日本の人々にひと時の癒しをもたらしたことは忘れられない出来事だ。東北での活動から今一度の休息を得た2021年、私たちはあらためて彼の音楽と才能を楽しむ機会を得ることができた。
パノス・カランのような人物が我々の中に居ることは、意味あることであり、また素晴らしいことだろう。世界をより良い方向に変えたいと考え、人生とおのれの仕事をその目的に捧げる人間がこの世に存在するということを-。
我々は、彼にこのインタビューで語る機会を与えてくれたことを光栄に思うとともに、心から感謝している。
今年1月、東京で行われたギリシャ・日本の首相会議の後に発表されたとおり、ギリシャと日本の両国は来年2024年「文化と観光年」として外交関係樹立125周年を祝うことになっている。この機会に、ギリシャで福島青年管弦楽団の公演を開催するのもひとつのアイデアかも知れない。
インタビュー:永田純子(Junko Nagata)
最近、福島青年管弦楽団のファーストアルバムのレコーディングをしていますね。オーケストラの話をする前に、少し悲劇の2011年に戻って、地震、津波、原発事故から数カ月後に東北を訪れたあの時のことをお話いただきたいと思います。福島や宮城の洪水や学校でピアノを弾いている写真やビデオを見ました。衝撃的な、感動的な映像です。
お会いした一人ひとりに、津波からの生死をかけたサバイバルストーリーがありました。震災の光景、音、サイレン、失った友人、そのすべてが顔に刻み込まれていました。すべてを失った老漁師の顔、家と父親を失いながらも避難所で人々を助けるボランティアの顔、大人の目をした10歳の子どもの顔。「氷のように黒い水は、悪魔のようにすべてを飲み込み、無差別に、人生を破壊し、傷口を広げ、人々の生計を奪っていく」とある学生は書き残していました。
その後、何度もこの地を訪れ、破壊から再生する過程を体験されてきました。12年後の現在は、どのような状況なのでしょうか?
もちろん毎日の生活は続いていきます。しかし、何年経っても傷は消えません。福島は、目に見えない脅威が、測定不可能な形で生活を破壊している場所です。例えば、地震と津波を免れた7万人の町は、今や1万人にまで人口が減っています。まだ建っているにもかかわらず、急遽放棄された家々は、立ち入り禁止区域の中に閉じ込められ、数年後に住人が戻ってくるのを待っています。住民の核となるアイデンティティに、重くのしかかる心理的な作用があると感じます。脇に追いやられ、忘れ去られたかもしれないと感じている人たちです。数十年という単位では、なかなか前に進めないし、時間の経過を感じるのは難しいことだと思います。
福島青年管弦楽団を設立することになった経緯は?その経緯や見どころ、レコーディング中のアルバムについてお聞かせください。
福島青年管弦楽団は、2011年の東日本大震災の被災地から生まれた、最も前向きな存在です。何度か日本を訪れ、学校や保護者からの共演の呼びかけに応えた後、英国のチャリティー団体キーズオブチェンジが福島の学校と提携して設立されました。当初はこの地域の若者たちに希望をもたらすために活動しておりましたが、その後楽団は急速に音楽的な進歩を遂げ、これまでに英国ロンドンのクイーンエリザベスホール(2014年および2019年)、東京オペラシティ コンサートホール(2015年)、米国のボストンシンフォニーホール(2016年)、タイのバンコクシアムピックガネシャシアター(2017年)とサントリーホール(2018年)で演奏しています。
福島青年管弦楽団は、過去10年間にわたりキーズオブチェンジのプロ音楽家らから指導を受けてきた、約50人の若い日本人ミュージシャンからなるダイナミックな楽団です。福島の生徒、教師、保護者からの多くの証言によると、この楽団プログラムは多くの生徒にとって人生を変える体験となってきました。音楽を演奏し、個々の音楽スキルを向上させることは、2011年のトラウマから抜け出した子どもたちの癒しのプロセスに大きく貢献しました。一つのオーケストラとして一緒にリハーサルや演奏をすることで、多くの生徒がより親密になり、自由に自分を表現し、内なる恐怖を克服することができ、音楽的にも人間的にも大きく成長することができました。さらに、この経験は、若い音楽家らの両親、教師、友人たちなど、周りの方々の回復にも積極的に役立ちました。楽団の活動は、福島県内の家庭、学校、地域社会をさまざまな形で強化してきました。個人的、社会的な悲劇を克服するための団結と協力の意義は、福島青年管弦楽団の演奏を聴けば、誰にでも間違いなく伝わってくるようです。
福島青年管弦楽団は、福島の復興と癒しのシンボルであり続けています。ボストン、ロンドンでの初期のコンサートから、直近のレコーディング事業まで、このオーケストラは多くの人々に希望とインスピレーションを与えてきました。そして今、未来に向けて、「福島は音楽で世界をつなぐ」という力強いメッセージを形にしています。
福島青年管弦楽団のメンバーから、かねてより演奏のレコーディングをしたいという要望がありました。レコーディングは2023年3月、福島市にあるふくしん夢の音楽堂で行われ、設立時以来の歴代楽団員全員から広く参加を募りました。このレコーディング事業の目的は、以下の通りです。
- 福島青年管弦楽団の声を形に残し、楽団のポジティブなメッセージをより多くの人に伝える
- 過去と現在のメンバーが一堂に会し、団結の証となる記念の品を作る
- 地域社会の発展と若者のエンパワーメントのツールとなる
- 国際的な講師陣による音楽サポートにより、楽団の若い音楽家たちに人生を変えるような経験を提供する
- CDをオーケストラの将来の活動や発展を支えるための収入源とする
- 福島県民の草の根的な願いや要望をより強く反映させたオーケストラにする
ギリシャにて福島青年管弦楽団のコンサートをぜひ見てみたいです。真っ先に思い浮かぶのはイロディオです。
私もそう強く願います。いつの日か、いち早く、できるようになるといいですね!
創設された団体キーズオブチェンジのモットーは、「音楽は世界を変えられるか?私たちはできると信じています」ですね。東北のほか、キーズオブチェンジを通じて、音楽の力を強く感じた瞬間があれば教えてください。
私のピアノの先生が「世界中のみんながピアノを弾けば、戦争はなくなる」と冗談半分に言っていたからか、クラシック音楽の真の力をこの目で確かめたいという思いからか、あるいはチケット代を払える人たちだけに聴いていただくことに嫌気がさしたからなのか。ひとつだけ確かなのは、「音楽は世界を変えられる」という合言葉を、私はとても重く受け止めているということです。この団体は、英国サリー州に拠点を置いています。
アマゾン河流域の村での私の音楽の冒険は、2011年に「なぜ私は音楽を演奏するのか」という自分自身への問いに対する答えを見つける目的で始まりました。私はロンドンの王立音楽院で6年間学びましたが、自分が演奏したい音楽について多くの有益なことを学ぶ機会はあったものの、最も重要な問い「なぜ」には答えを見つけられませんでした。アマゾンをはじめ、世界各地を訪れ、まったく異なる環境で生活しながらさまざまな困難に直面している若者たちと出会い、私が大好きな音楽を彼らともっと共有したいと思いました。旅先で、音楽が本当にできること〜人々を結びつけること、そして最も大きな危機の時にも希望と力を与えることができること〜を直接自分の目で見て、体験する機会を得たからです。直近のアマゾンへの旅では、何年も前に訪れた先住民の村を再訪しました。その時に出会った子どもたちを探そうと、再び訪れた小学校の教室の後ろに、静かに座っている少女を見つけました。年齢的にもちょうど合っていそうだったので、「前に来たとき、あそこに行ったよね。何か覚えているかな?」と声をかけてみました。すると彼女は、「はい、前回ピアノの音を聴いたときは、私はまだ小学生でした。数年後に息子が生まれたとき、『パノス』と名付けることにしました」と彼女は言いました。
また、シエラレオネの聴衆を例にとりましょう。クラシック音楽は彼らにとっては新しく馴染みのないものですが、心で感じ、インスピレーションを受け、ダンスをもって驚くほどの表現してくれました。初めてクラシック音楽を聴く人たちが、こんなに美しく踊るなんて、誰が想像できたでしょうか。元娼婦のグループが自発的に椅子から飛び上がって、ギリシャ音楽で、そしてチャイコフスキーで踊りました。刑務所にいた1,000人の囚人たちは、ヘンデルのリズムに合わせて足を鳴らし、暴動が起きそうにもなりました。目の見えない子どもたちが、ショパンを聴きながら華麗に踊ってくれました。彼らは狭い部屋の中で飛び回り、この新しい音楽を、最も新鮮で美しい方法で自由に表現していました。これまで誰も、彼らに「クラシック音楽で踊ってはいけない」と言わなかったからでしょう。その中の一人が私の手をそっと取り、「ダイヤモンドフィンガー」と優しくささやいてくれました。
音楽は、世界にポジティブな変化をもたらすこのできる、最も強力なツールのひとつであると私は信じています。音楽は国際語であり、翻訳や説明を必要とせず、一瞬にして人々を結びつけることができます。それだけではありません。音楽を創る活動は、人々が自分自身の一部とつながる機会を与え、そこから力、問題解決、理解、希望、思いやりを湧き出させてくれるのです。音楽は、まったく異なる状況や文化に育った人々を結びつけることができ、偏見や憎しみを解消することができる。音楽は、私たちの世界をより良い場所にするための、最もシンプルで過小評価されているツールです。
ギリシャから始めて、自身のことを少し話していただきたいと思います。そして、人生において、日本がどれほど重要なマイルストーンであるか。
ギリシャは、残念ながら、野心的な子どもたちを追い出してしまうところがあります。私は海外で、最も優秀なギリシャ人たちに多く出会ってきました。ギリシャは私の故郷です。生まれ育った場所であり、私の家族が住んでいる場所だからです。しかし、ピアニストとして私は旅を続けていますし、世界中どこだって自分の家にできるはずです。
一つの芸術を完成させるには、1万時間あれば十分だと言われています。これまでの私の40年間の人生で、35,000時間以上は練習したことになります。人生でこれだけの苦労をしなければならない理由が、日本で出会った人たちに出会うためだったとしたら、私には十分それだけの価値がありました。日本は私にとって、人生で最も大切な場所です。少なくとも年に2~3カ月は日本で過ごしますが、私にとって2011年のあの日々は、心に刻まれています。あの頃出会った人たちは皆、自分なりのユニークで力強い、美しい方法で私に感謝し、感謝の気持ちを表して下さいました。感謝を受け取るのに、私は罪悪感を感じたほどです。ピアニストにとって最大の報酬は、聴く心の準備ができていて、音楽から何かを受け取ろうとしている観客であり、私は日本で、惜しみなく報われたのです。私の一部はあの時から東北に残り、新しくできた傷で心がずいぶん痛みました。私は東北の一部を、自分勝手にも持ち帰りました。尊厳、寛大さ、優しさを世界と共有し、世界が東北を忘れないことを心から願いました。
ありがとうございました。
関連リンク:
Panos Karan, Fukushima Youth Sinfonietta, Keys of Change