≪GreeceJapan.com 独占インタビュー≫
坂本冬美はおそらく今の日本において最も優れた演歌歌手のひとりではないでしょうか。
その20年に及ぶ活動と様々な試みを通して、日本の心の歌である演歌に独特の魅力を与えることによって、彼女は多くの人々に愛され続けています。
そんな優れた歌手である彼女が、GreeceJapan.comに演歌について、彼女自身について率直に語ってくださいました。
日本に興味がある人、日本についてよく知っている人、そうでない人も含め、演歌とはどんな音楽であるといえるでしょうか。
【坂本冬美】
何て言ったらいいでしょうか…。フランスにシャンソンが、アメリカにカントリーがあるように、日本のカントリーソングとでも言うんでしょうか?でも、もっと時代を遡れば民謡だったり、浪曲だったり、生活に密着した歌でもあります。
演歌と言っても、今はもう色々なテーマがありますから一言で表すのは難しいけれど、そもそもは…例えば民謡だったら、仕事をしている中で『エンヤートット、エンヤートット』っていう掛け声から歌が生まれたり、お皿を叩きながら…こうやってね(机を叩いて)、叩きながら歌ったり、踊ったり。太鼓なんかも同じですよね。ですから、そもそもは生活の中から生まれて来たのではないかと思います。
「演歌」という言葉は、もともとは『演歌師』という、街角でバイオリンを弾きながら立って風刺の歌を歌っていたような人たちから生まれているんです。そういった風刺をやっていた人たちが、やがて恋愛を歌うようになって…時代時代の歌を歌うようになった。「演歌」と言われていますけれど、つまり、流行歌なんですね。
今、演歌を歌っているところを外国の方が見たら、私が今着てますように和服を着て、コブシを回して歌ってる…それが演歌だ、と思われるのでしょう。細かく音楽がジャンル分けされている現在は、そんな風に捉えられるのでしょうけれど、一時は「演歌歌手」と言わなかった時代もあったんですよ。「演歌歌手」と呼ばれるようになったのは30年くらい前からのことで、それまでは、「流行歌手」と言われていたんです。 いずれにしろ、生活の中から生まれてくる歌、それが演歌ではないかと思います。
生活に密着した歌であるとすると、外国の方にとっては、日常では洋服を着ている人がほとんどの今の日本で、なぜ多くの演歌歌手が和服を着て歌っているのかが疑問なのでは、と思います。
【坂本冬美】
私がデビューした時はもちろん演歌の歌い手には着物の人も多かったですけれど、それ以前は、先輩方にはドレスの人も多かったですよ。だから、これもその時その時の流行りで、私の時代は日本の良い、そういう伝統を次に繋げよう、これがその「ジャパニーズ・スタイル」なのよ、ということで、和服を着ているわけですね。でも、今もドレスの人も多いですし…その人が一番美しく見えるものを着ている、ということでしょう。
どのようなきっかけから、演歌歌手になられたのでしょうか。また、どうしてポップスやロックでなく演歌だったのでしょうか。
【坂本冬美】
私のお祖父ちゃんが、歌が好きで、お芝居が好きな人でしたから、お祖父ちゃんの影響が大きかったと思います。
それに、家の中でクラシックがかかっていたら別の道があったのかも知れませんが、私が小さいころから家にはそういう流行歌、演歌みたいな歌が流れていましたので、自然にそういう歌を口ずさむようになっていました。
子供の頃からそういった演歌を聞いて、10歳くらいのときに石川さゆり(*1)さんの「津軽海峡冬景色」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)という歌と出会って、「あ!」と…何か、ビビッと来たんですね。その時、「私も石川さゆりさんのような歌手になりたい」と思ったんですね。ですから、やっぱり育った環境がとても大きかったと思います。
今まで聴いてきた中で、一番印象が強い曲はやはり石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」でしょうか?
【坂本冬美】
うん、やっぱりそうですね。子供の頃、初めてレコードを買った歌ですから。
歌手としての道を歩んでいなければ、どんなことをなさっていたでしょうか。
【坂本冬美】
これは、普通にお嫁に行って子供が2、3人いるような…普通の主婦になっていたと思います。今はもう、歌手以外は考えられませんけれど。
演歌以外のジャンルのアーティストと多く共演されていますが、他のジャンルとのコラボレーションについて、どんなお考えをお持ちでしょう。
【坂本冬美】
ほかのジャンルの方とご一緒すると、自分が、このスタイル―和服を着て演歌を歌う―それが再認識と言うか、再確認できるんです。あ、私はこれなんだ、このスタイルでコブシを回すから、清志郎さん(*2)が興味を持ってくれたわけであって、もし私がロック歌手だったら、きっと興味を持ってくれなかったと思うんですね。ですから、ほかのジャンルの方とご一緒した時には、何か、いつもとは違う意味で「私は演歌歌手なんだ」っていう自負みたいなものも生まれます。
他のジャンルとのコラボレーションのなかで演歌を歌うのと、演歌を演歌として歌うときとでは、何か一番大きな違いなのでしょうか?
【坂本冬美】
そうですね…。音楽というものは「音を楽しむ」ものですけれど、和服を着たこのスタイルの時、ある意味私は「演歌歌手の坂本冬美」をどこかで演じているという部分があります。でも、他のジャンルの方とご一緒した時は、「私は演歌歌手としてここに参加しているんだ」という気持ちはもちろん強くなりますけれども、どこかで音を楽しむ、音楽を楽しむという部分がより大きいと感じます。お仕事という感じではないですね。参加している自分と、楽しんでいる自分がそこにはいると思うんですよ。
ただ、普段のお仕事になると、やっぱり「この歌の時はこういう振り(付け)がある」とか「ここの時はこうやらなければいけない」という…自分で決めたことなんですけれども、そういった決め事はきっちり演じる、ということになりますね。ですから、他のジャンルの方とご一緒したときは、ありのままの自分で楽しめるような気がします。
演歌以外の音楽は普段お聴きになりますか。
【坂本冬美】
車に乗った時FMラジオを聴いたりしますけれど、自分でアーティストのアルバムを買って聞く、ということはあまりありませんね。
自由な時間があった時、どなたかのコンサートに行く…ということは?
【坂本冬美】
自分が若い頃は、もちろんそういったこともありました。例えば学生の頃マイケル・ジャクソンが流行った時はCDも買いましたし、振り真似したりもしましたが、今はなかなかそうやって触れる機会が少なくなっていますね。
自分のコンサート会場へ行く新幹線や飛行機の中では、歌のためにいつも勉強しています。歌わなければいけないもの、何か覚えなければいけないこと…。ですから、純粋に音楽を楽しむというのは、そういった車での移動中に流れている音楽を聴く、という程度になってしまいます。
そういった流れていた音楽の中で、特に印象に残ったものは何でしょうか。
【坂本冬美】
そうですね、それほど最近のことではありませんが、若い歌い手さんでも本当に歌の上手な方が大勢いる今、その中で絢香(*3)さん、あの人の声を聴いた時に、とても10代とは思えないような説得力のある声だな、と思って、彼女はついついアルバムを買いました。ただ、やっぱり(歌詞の)テーマが若い方のものですから、ついていけない部分はありましたが、声が素晴らしいな、と思いましたし。
後は…最近買ったCDというと…『夜空のムコウ』(歌:SMAP、作詞:スガシカオ、作曲:川村結花)を作った…スガシカオ(*4)さん、この方の作品です。
日本以外の国で、コンサートを開かれたことがおありですか。また、日本で行う時とどんな違いがあるのでしょうか。
【坂本冬美】
コンサートは、今までにブラジル、ロサンジェルスそしてサンフランシスコでやりました。ただ、もちろんその国の方もいらっしゃいましたけれども、日系人対象に開いていますので…。それでも、それこそ外国の方が言葉も分からないのにコンサートの後に手紙を下さったこともありました。だから、言葉が伝わらなくても、通じなくても、何かこう、心が通じたのかな、と思いました。それはとっても嬉しかったですね。
日本でやる時と、外国でやる時と、同じ演歌のコンサートを開催しての違いを感じられましたか?
【坂本冬美】
外国に行くと、聴きに来てくださる皆さんが、まず日本に対する郷愁といいますか、日本への思いが熱いじゃないですか。ですから、一曲一曲、一言一言に何かこう…それを聴き逃すまい、この今という時を大事に、といった雰囲気がものすごく伝わってくる訳ですよね。日本だったらコンサートにはいつでも行けるわけですから。
日本でなら、「コンサートに行かなくても、CDストアに行けばいい」と思うかも知れません。
【坂本冬美】
その(演歌の)CDですら、外国ではすぐには手に入らない訳ですよね。ですから、コンサートにいらっしゃる方々は、一言一言にも耳を澄まして聴いて下さいますし、中にはやっぱり泣きながら聴いて下さってる方もいらっしゃるんです。また、日系3世、4世の世代になりますと、言葉は分からないけれど、日本人の血が流れているから…和太鼓の音を聴くと興奮したり、尺八の音色を聴いて懐かしく感じたりするわけです。これは、言葉じゃないと思うんですね。
そんな風に皆さんが喜んでくださって、何とも言えない…何だか私も感極まって泣いてしまうみたいな感じでした。
仕事だけでなく、旅行も含めギリシャにおいでになられたことはおありですか。
【坂本冬美】
ないんです。プライベートを含めて…。
ギリシャで、ご自身の歌を1曲歌うならば、何の歌を歌われますか。
【坂本冬美】
それはやっぱり、『夜桜お七』(1994年9月発表:作詞/林あまり 作曲/三木たかし)でしょうね。華やかであり、日本の象徴である桜を歌った歌…。ですから、桜の着物を着て、『夜桜お七』を歌いあげたいですね。
演歌はこれからどうなっていくのでしょうか。様々なジャンルの音楽があふれる今、演歌は変わらず人々に受け入れられることが出来るのでしょうか。
【坂本冬美】
(演歌は)大丈夫でしょう。ただ、CDの売り上げが伸びないというのは、演歌を聴かれるご年配の方が行きづらいような雰囲気のCDストアが多いということも理由のひとつではないか、と思います。ですから実際、コンサート会場では売れるんですよ。コンサートを見て、そのまま買ってくださる。だから、演歌の好きな人たちの行きやすいお店があったりとか、もっともっと身近にCDが売っていれば良いのかな、と思います。
今は、演歌のCDがお店に置いてないので、取り寄せなければいけない…そんな時代でもありますので。なかなか売り上げには繋がらないということがあっても、お年を召した方はどんどん増えてますし、時代が変わっても、演歌がなくなることはないと思います。
恩師である作曲家・猪俣公章(*5)先生について伺います。
【坂本冬美】
とても豪快な方で…古賀政男(*6)先生のお弟子さんでもありますから。猪俣先生は、その恩師である古賀先生の譜面を整理してらした方でらっしゃるんですね。ですから、なんて言いますか…とても繊細な所と、とても大胆な所と、男っぽい所と、何となく女っぽい所と…本当に色んなものを持ち合わせた方だと思います。そんな方でしたから、とってもドラマチックなメロディをお書きになりますし。
猪俣先生の曲と他の作曲家の方と違うところは、聴いたとき、たとえ歌詞がなくてもまるで一冊の小説を読んでいるように感じる点だと思います。
【坂本冬美】
ですから…お酒が大好きで、豪快で、朝から呑んで…。破滅的な所も持っていましたし、でも可愛らしい一面もある、憎めない先生でしたね。それはもう、年上からも年下からも、男性からも女性からも、やっぱり可愛いな、放っとけないな、と思えるような、そんな所 があったような気がするんですね。とてもいい先生でした。
お休みのときは、プライベートで何をされて過ごされますか。
【坂本冬美】
今はゴルフと、温泉でしょうか。結構全国各地に行っていますけれど、最近は近いところが多くて、東京都内の温泉にもよく行きます。
演歌歌手として、または坂本冬美自身として、これから実現されたいと思われることは何でしょうか。
【坂本冬美】
特にこれが、というものはないんです。
私も40歳になりまして、まずは心身ともに健康でなければきっといい歌は歌えないと思っています。常に健康であること、その上で、情熱を持って歌い続けられるような状況でいたいですね。仕事をしすぎて疲れてしまったら、歌いたくなくなったりするということがありますよね、やはり人間ですから。
若い時と違って、程よくいい仕事を自分で納得して出来れば、こんな幸せなことはないな、と。それで、気がついたら「あら、もう私も70歳になってたわ」と…そんな人生だったら、幸せだろうなと思いますね。
今やられている歌手という仕事を、もっと良く、もっと確実に…ということでしょうか。
【坂本冬美】
今の状態を維持する、そのために特に何か実施してるわけではありませんが、「もっと上に行こう」っていう欲は、私にはないんです。今のような健康状態が続いて、皆さんに喜んでいただける歌が歌えれば幸せです。それで、気がついたら先ほど言ったように、70歳になってたら…最高じゃないですか。
自分が求められている時に最高の自分でいたい、ということですね。
【坂本冬美】
まさしくそうですね。
私はまだ40歳ですから、無理をしようとすれば出来ますけれど、それよりも、自分が良い状態で皆さんの前に出たいなと思っています。
そしてどんな事よりも、お客様に喜んで頂いて、拍手を頂いて、その喜ばれているお顔を見るだけで…コンサートの幕が下りた時に「何て私は幸せなんだろう」って…。これ以上の幸せをまだ感じたことがないんですよね。
女性として、結婚して子供を生んでといった経験をしていたら、それ以上の喜びはないのかも分かりませんけれど、そういった喜びとは別として、やはり私は歌手として、本当に…皆さんの嬉しそうな顔とか、喜んで帰られる後姿とか見る時に、「何て幸せなんだろう」って思います。これは言葉では表せないほどの気持ちになりますね。
インタビューの終わりに、日本が好きな方、興味を持たれている方、そして「これから」の方を含め、坂本さまから一言お願いいたします。
【坂本冬美】
まずは、今回こうして取材をしてくださったことに私は心からありがとう、と申し上げたいと思います。この記事を読んで下さった方の中から、もしかしたら演歌に興味を持って下さって、歌を聴いて下さることがあるかも知れないじゃないですか。そういったご縁が今回の取材から、もしかしたら広がっていくのかも知れませんね。その可能性にも、ありがとうと申し上げます。記事を見てくださった方にも、是非「ありがとう」とお伝えください。
○日時:2007年10月3日 17:30~18:00
○場所:レコード会社 EMI Music Japan(東京)
○聞き手:永田 純子(Greece-Japan.com)
(*1) 石川 さゆり:
いしかわ さゆり。
1958年生まれ。1973年「かくれんぼ」でデビュー。1977年に発表した「津軽海峡冬景
色」は多くの賞を受賞し大ヒットとなる。現在まで多くのヒット曲を持つベテラン。
(*2) 忌野 清志郎:
いまわの きよしろう。
1951年4月2日東京生まれ、バンド「RCサクセション」の活動をスタートに、現在
ではソロ活動、作曲等多岐に渡る音楽活動を行うアーティスト。1991年、坂本冬美、
忌野清志郎、細野晴臣の3人で音楽ユニット『H.Ⅰ.S』を結成、曲を発表している。
(*3) 絢香:
あやか。
1987年12月18日大阪府生まれ、2006年2月シングル『I believe』でデビュー。
(*4) スガ シカオ:
すが しかお。
1966年生まれ、1997年「ヒットチャートをかけぬけろ」でデビュー。自身
の歌のほか、他のアーティストへの楽曲の提供も多く、印象的な曲が多い。
(*5) 猪俣 公章:
いのまた こうしょう:1938~1993、作詞家・作曲家。演歌を中心に、多くのヒット
曲をもつ。古賀政男に師事し、後に坂本冬美をはじめ多くの演歌歌手を育てた.
(*6) 古賀 政男:
こが まさお。
1904~1978。昭和の日本を代表する作曲家。作曲した曲は5,000以上と言われ、演歌
に限らず多くの流行歌をヒットさせた。没後、国民栄誉賞を授与され、彼を記念し東
京・代々木上原に「古賀政男音楽博物館」が設立され、今も訪れる人が絶えない。