(文:永田純子)
レコードやCDを含めると、これまで様々な日本盤のギリシャ音源がリリースされて来ましたが、その中でも映画「炎のランナー」「ブレードランナー」の音楽を担当したヴァンゲリスやデミス・ルソスといったギリシャ人音楽家の作品を除いて、最も多くの日本盤が発売されてきた女性歌手がハリス・アレクシーウです。
ハリス・アレクシーウは本名をハリークリア・ルパーカといい、1950年(昭和25年)12月27日古代ギリシャではテーバイと呼ばれたギリシャ中央部のシーバで生まれました。8歳の頃家族とともにアテネに移り住んだ彼女は、やがてその類まれな声を認められ1967年(昭和42年)から歌手として活動を開始。1971年(昭和46年)にギリシャの有名作詞家ピサゴラスの作品「オタン・ピニ・ミア・ギネカ(女が呑む時は)」でレコードデビューを果たしました。
翌年72年にはアレクシーウと並びギリシャを代表する男性歌手ヨルゴス・ダラーラスとともに制作した初アルバム「ミクラ・アシア(小アジア)」をリリース。このアルバムはゴールドディスクに輝き、アレクシーウはデビュー直後から一大スターとしてそのキャリアをスタートさせたのです。
そんな彼女を日本に紹介し、数々の日本盤のリリースに力を尽くしたのが音楽評論家・中村とうよう氏でした。ワールドミュージックに対する興味が高まった90年代に、ギリシャ語という日本人には馴染みのない言語で歌われる歌と歌手を日本に、日本語で紹介した氏の功績は今も色褪せるものではありません。
そしてついに1994年(平成6年)アレクシーウは来日。東京・恵比寿のザ・ガーデンホールで行われたコンサートで待望の生の唄声を聴くため、日本中から多くのファンが駆け付けました。コンサートではアレクシーウの熱烈なファンであり、親交のあった小椋佳の名曲「シクラメンのかほり」が日本語で披露され、会場に集まった日本のファンの愛に応えました。
ギリシャが激動の真只中にあった70年代初めにデビューして以降、40年以上に渡り数々のプラチナ・ゴールドディスクに輝き、人気の面でも、セールスの面でもつねにギリシャ歌謡界の最前線で活躍を続けて来たアレクシーウは、ダラーラスやヤニス・パリオス、ディーミトラ・ガラーニといった同世代の歌手たちとともに戦後ギリシャの新たな歌謡界を作り上げた最大の功績者です。
時代の変遷とともに移り変わる歌の世界の流行やテクノロジーの進化を積極的に取り入れつつも、一貫してギリシャ人の心情に寄り添い、自らの声の力を信じて歌い続けて来た彼女だからこそ、遠い日本でも、そして当然のことながら母国ギリシャでも愛されて来たのです。
昨年2017年11月からはギリシャ国立劇場でポーランドの作家ヴィトルド・ゴンブローヴィッチの劇作『オペレッタ』に出演するなど、年齢という枠を軽やかに越えて新たな挑戦を続けるアレクシウの再来日を願うばかりです。
最後に1996年の来日公演で彼女が日本語で披露した「シクラメンのかほり」と、1994年に日本で発売されたコンピレーションアルバム「ベスト・オヴ・ハリス・アレクシーウ」に収録された「ジャマイカ」をご紹介して結びといたします。お楽しみください!
【シクラメンのかほり】
https://youtu.be/zmSRWKRDj9o
【ジャマイカ】
【CD Data(※文中の紹介順)】
「祈りをこめて」(オーマガトキ/SC-3128/1993年)
「Μικρά Ασία(ミクラ・アシア)」(Minos-EMI/1972年)
「Γυρίζοντας τον κόσμο Live’92-’96(ギリゾンダス・トン・コズモ)」(Mercury/532 480-2/1996年)
「中村とうよう監修 ギリシャ音楽への誘い① ベスト・オヴ・ハリス・アレクシーウ」
(オルターポップ/GRPCD-702/1994年)