2011年に開催された第24回東京国際映画祭・コンペティション部門にノミネートされたギリシャ映画「J.A.C.E.」のメネラオス・カラマンギョーリス監督、そして主演のアルバン・ウカズ氏にGreeceJapan.comが行った独占ロングインタビュー。お二人の本作に対する熱い思いを感じられるインタビューとなった。
・聞き手:永田 純子(GreeceJapan.com)
ようこそ日本へ。お二人ともこれが初めての日本訪問でしょうか。
(アルバン・ウカズ)
ええ、日本はこれが初めてです。正直にいいますと、こんなに若いうちに来られるとは思いもしませんでした。今こうして日本に来ることができ、また東京国際映画祭のような国際的にも有名な映画祭に参加することができ、本当にうれしく思います。日本は文明発祥の国のひとつであり、私の意見では…資本主義が終焉を迎えた国ではないかと思います。
(メネラオス・カラマンギョーリス)
私にとっても、これが初めての東京です。いつの日かこの日本に自分の映画を持って訪れたいと長い間夢見てきましたが、ついに「J.A.C.E.」とともにそれが叶いました。
とても印象的な映画だと思います。特に沈黙を守り、母を求める子犬のような眼差しのアルバンの演技が他の映画とは一線を画していますね。そこで監督にお尋ねします。なぜアルバンを主演に抜擢されたのですか。彼の出演作をご覧になられたのか、またはオーディションを通してでしょうか?
(カラマンギョーリス)
アルバンの演技を「沈黙」というのは間違いです。この映画でJ.A.C.E.は多くのことを語っています。ただ、彼自身のやり方で、はっきりと意思を伝えているのです。
つまり、沈黙で皆に語りかけていると?
(カラマンギョーリス)
J.A.C.E.という役について語る時、私は「沈黙」という単語を使いません。彼は確かにその眼で、動きで、そして感情で人々に語りかけているのです。沈黙はJ.A.C.E.にとってひとつの言い訳、口実に過ぎません。私が思うに、アルバンもJ.A.C.E.も、彼ら自身のやり方で語り、他者と意思を通じ合う方法を持っているのです。それがアルバンをこの映画の主演に選んだそもそもの理由でもあります。
今回の映画のキャスティングはローマのベアトリーチェ・クルーガーに依頼しました。
サラエボの映画祭でヨーロッパ中から集まった俳優たちと「J.A.C.E.」のオーディションを行う機会を得たため、私は彼女と共にサラエボに向かいました。100人近くの俳優を見たところで、ベアトリーチェが私にサラエボから来た俳優がまだ何人かいるから、明日彼らに会ってみようと言ったのです。次の日オーディション会場で彼女は「J.A.C.E.はこの中にいるわ。でもそれが誰だかは教えない」と言いました。「さあ、カメラを構えて。あの子たちの中から探してごらんなさい。見つけたら教えてね」とね。本当のところ、会場に入ったその時は誰が彼女の言うJ.A.C.E.なのかわかりませんでした。カメラを構え、会場でベアトリーチェの話を聞いている俳優ひとりひとりの眼をレンズで追っていくうち、アルバンの眼差しにはっと手が止まったのです。その後彼と、映画の中でも最も難しいシーンのカメラテストを行いました。
それはどのシーンでしょうか?
(カラマンギョーリス)
J.A.C.E.が恋に落ちた女性、マリアの夫と出会うシーンです。アルバンはその時脚本をまったく読んでいませんでした。彼が知っていたのは、言葉を発する必要はないけれども、何らかの反応を示さなければならないということだけでした。シナリオに書いてあるように、ベアトリーチェが突然彼を引っ叩くことは教えませんでしたが。結果、その時のアルバンの反応は、彼にならJ.A.C.E.が演じられるのではないかと思わせるに充分でした。
しかし、それからがまた問題でした。果たしてサラエボから来た一人の人間がギリシャまでやって来られるのか、撮影の間の数か月ギリシャで暮らしていけるのか、ギリシャ語で話すギリシャ人の俳優たちと一緒に演技ができるのか、といったことです。映画が英語で撮影されるなら英語で会話をするわけですから、英語で意思の疎通はできるでしょうが、ギリシャ人の俳優たちとどうやってやりあうのか、とね。そこでまずは、アルバンをギリシャに招こうということになりました。しかし、最も驚きだったのは、彼がギリシャ語を話すことなく瞬く間に皆と意思を通じ合うことに成功したことです。結局彼が適任ということで意見もまとまり、アルバンは再びギリシャ入りし、3‐4か月滞在することになりました。実際の撮影には11週間を費やしました。
監督はこうしてあなたを映画の主役に選びましたが、あなたがこの役を演じようと決断した理由はなんでしょうか。
(アルバン・ウカズ)
私は3年前に独立を宣言したばかりのコソボ共和国という小さな国の出身です。日本はコソボの独立を承認していますね。ともかく私は今までに様々な場所に住みました。サラエボに行った時も、言葉はまったくわかりませんでした。仕事をしようという一人の俳優にとってこれは大きなハンディです。私もJ.A.C.E.のように何もかもゼロから始めたというわけです。振り返って、こういう状況にあった自分を考えると、これこそが始まりではなかったのかと、J.A.C.E.という役の準備ではなかったかと思えるのです。その後やはり言葉はできないままフランス、ベルギーにも行きました。そうこうするうち、サラエボの映画祭で行われた若手俳優を対象としたタレント・ワークショップでキャスティング・ディレクターのベアトリーチェに出会いました。サラエボには以前も訪れたことがありましたが、今回はベアトリーチェが若い俳優たちとキャスティング・ディレクターとして活動するところを見に行ったのです。
彼女は集まった私たちに対して、あるギリシャ人の映画監督が俳優を一人世界中で探しているので、この映画のシーンの一つをテストしてキャスティングしたい、と言いました。ベアトリーチェは皆に誰か演じてみたい者はいないかと尋ねたのですが、誰も手を上げなかったので私が演じてみたというわけです。果たしてそのシーンを演じたところで彼女は会場から出て、通路で誰かに電話をかけ始めました。その時映画祭のスタッフの女性が私に、今ベアトリーチェは監督のメネラオス・カラマンギョーリスに電話しているのだと、気になる俳優を見つけたから来てほしいと言っているのだと教えてくれたのです。メネラオスが来て私を見た時、きっと失望したのではないかと思いますよ…冗談ですけれどね。俳優はいつでも演じる役を選ぶチャンスがあるわけではないと、時には好まない役を選ぶこともあると私は思っています。しかし私は、その役の中に私自身を見出すことができなければ、その役を演じることに興味は湧きません。シナリオを読んだとき、J.A.C.Eという役にアルバンを見出すことができなかったら、演じたいとは思わなかったでしょう。
メネラオスと仕事を始めたのはJ.A.C.E.がマリアに電話を掛けるシーンでしたが、この時私は考え込んでしまいました。どうして電話をするのだろう、話すことはできないのに、とね。その時メネラオスは私にこう説明したのです。J.A.C.E.はマリアに「僕は君のためにここにいる、話すことさえできないけれども」…こう言おうとしているのだと。この瞬間、この役へ通じる扉がぱっと私の前に大きく開いた、そんな気がしました。メネラオスのこの一言が、この瞬間、私にこのキャラクターを演じようという決断をもたらす重大な転機になったのです。
今おっしゃられたシーンはとても印象深いですね。
(カラマンギョーリス)
映画にはもう一つ、マリアがアレクサンドロスと一緒に手に入れた携帯電話をJ.A.C.E.にプレゼントするシーンもありました。一度はそのシーンをカットしたのですが、最終的にマリアがJ.A.C.E.に『話してほしいの』と言うシーンを残しました。J.A.C.E.はつまり、彼の人生にとってあまりに恐ろしい事実を知ってしまったにも関わらず、誰にもそれを言うことができなかったのです。彼は言葉を発したいのです。しかし誰もこの映画でJ.A.C.E.が話すことができるのか否かを知りません。もちろん、私たちもね。
マリアはJ.A.C.E.に「私にだけ、何か話して」と、自分にだけ喋ってほしいと懇願します。その時J.A.C.E.は涙を流しますが、それは何故ですか。
(カラマンギョーリス)
これは実はとても暴力的なシーンです。マリアはJ.A.C.E.の隠された部分、つまり喋ってはいけないという誓いをこじ開けてしまったのですから。
このシーンの少し前、マリアはJ.A.C.E.が幼いころから持ち歩いていたメモ帳をこっそりと読み、彼が話すことができるのだということを知ります。マリアがしたことは、ただ何か言葉を発してほしいと頼んだ、という単純なことではありません。J.A.C.E.の心の奥深くに、荒々しく突然に踏み込んでしまったのです。そしてそれがJ.A.C.E.に、一方では人生で初めて愛した女性に話しかけたいという思いと、もう一方で、誓ったように誰にも話してはならないという思いとの中で苦悩を与えてしまったのです。彼がどれほど話しかけたかったことか…。それでも、もしマリアが彼を愛しているなら彼のプライベートな部分を尊重するべきだったのです。
あなたにとって「沈黙」はどんな意味をもつのでしょうか。お二人とも日常では寡黙でいらっしゃいますか。
(カラマンギョーリス)
私にとって、沈黙は大きな意味をもつものです。それは実際に何が起こっているのか、冷静に理解するための唯一の方法だからです。何かを話せば、気を取られたり注意をそらされたりしますが、口を閉ざして物事を追えば、自分の中で何が起きているかよくわかるでしょう。実は東京で私はこれと同じ経験をしました。東京という、沈黙し、ある種の瞑想を行うにふさわしい街でね。
監督はロマをテーマにしたドキュメンタリー映画「ROM」で一躍その名を知られ、その後1998年に長編映画「Black Out」を撮影されましたが、それから実に11年という時が経過しています。どうしてこれほど長い間映画界から遠ざかっておられたのですか。
(カラマンギョーリス)
確かに「Black Out」から11年が過ぎていますが、映画界から遠ざかっていたわけではありません。自分がプロデューサーを務めた前作の映画のために借りた資金も返済しなければなりませんでしたし、同時にこの「J.A.C.E.」の準備もしなければなりませんでしたからね。その間にたくさんドキュメンタリー映画を撮っていましたよ。
次回作はもうお決まりですか。
(カラマンギョーリス)
「J.A.C.E.」の制作が完了したのは、実は東京に来るほんの一日前で…。できる限り早く新しい映画を撮りたいと思っていますが、今はまだ何とも言えません。
アルバン、あなたにはどんなご予定がおありですか。
(アルバン・ウカズ)
今は劇場により多く出演しています。今度の11月にはサラエボで、ディビッド・リンゼイ=アベアーの「ラビットホール」の初演に出演する予定です。それから来年には、2002年「ノー・マンズ・ランド」でオスカー外国語映画賞を獲得したダニス・タノビッチ監督の新作映画に出演することになっていて、その撮影が始められたらいいと思っているところです。
(カラマンギョーリス)
ここで、アルバンについて皆さんに私から言わせてください。彼は必ず映画界で国際的なキャリアを築くことができる俳優だと私は確信しています。彼もそれを望んでいますし、成功するはずです。何故なら彼は国境を超えるということが何かを知っているからです。ただ一俳優としてだけでなく、一人の人間として、あらゆる側面から世の中を俯瞰することができるという国際的に著名になるにふさわしい才能を持っているのです。
東京国際映画祭では、映画を観終わった観客から「もう一度見たい」という声を多く聞きました。日本の劇場での上映はいかがですか?
(カラマンギョーリス)
私にとって最も感動的だったのは、東京の観客がこの映画を受け入れてくれたことです。この映画は日本とは全く異なった別の世界で起こる多くの事件によって描かれていますので、日本の観客がこの異なった文化を理解できるだろうかと思うととても心配でした。しかし2回の上映を見て、観客たちがみな興味を持ってくれた上に、もう日本で配給会社は見つかったかと口々に尋ねてくれましたし、また多くの好意的なコメントをもらうことができました。うれしいことに、多くの日本の映画配給会社から東京での一般公開の提案もいただいています。前作もこうして公開することができれば、さらに喜ばしいのですが。
経済危機はギリシャの映画界にも影響を与えたのでしょうか。ここ最近、ギリシャ映画は国際的な賞を獲得するなど多くの成功を収めていますが、むしろギリシャを覆う困難はある意味あなた方に創作意欲をかき立てさせているのでしょうか。
(カラマンギョーリス)
経済危機は、ギリシャ社会のすべてを覆いつくしたように、ギリシャの映画界にも深刻な打撃を与えました。映画制作は現在大変困難で、制作資金の獲得は壁にぶつかり、誰も明日を見通すことなどできない状況です。いずれにせよ、これら全てが現在のところギリシャにおける映画製作を抑圧し続けていると言えるでしょうが、私はこの状況が改善すると信じて闘っています。
それに「J.A.C.E.」のような映画は、経済危機下にあろうがなかろうが、スポンサー探しには苦労したことでしょう。主人公のJ.A.C.E.は、周りが敵だらけの中、何の支えもなく、生き残るために、そして自分の価値を守るために戦うヒーローですからね。
この映画は、映画の力を信じる人々の不屈の精神と狂気の中から作られたものです。またそれはギリシャ人の性質の一端でもあります。私はこのギリシャ人の性質がギリシャの中で今も生きていて、それが創作活動に有益に働きかけることを期待して戦い続けているのです。
東京国際映画祭の印象はいかがでしょうか。
(カラマンギョーリス)
一本の映画の制作が完了し観客の目に触れる時が、全ての映画にとって最も重要な局面です。東京国際映画祭では、「J.Α.C.E.」にとって考えうるなかで最高の出だしを迎えることができたと思っています。ここ東京では、完璧に計画された映画祭に、あらゆる世界の映画を何の予断もなく受け入れ評価できる優れた観客たちが集い、映画への尊敬の念を持ちながら精神を集中して鑑賞し、賞賛の言葉と価値ある問いを映画の作り手に投げかけます。
一本の映画の初上映を世界の果てで、全く異なる文化を持った人々の中で行い、観客からこれほど肯定的な反応を得ることができたということは、まずは映画にはその力があるのだということと、そして「J.A.C.E.」のストーリーがギリシャ以外の国でも受け入れられるのだということを如実に示しているのだと思います。そしてそれこそが、映画「J.A.C.E.」が実現するためにその力を尽くしたすべての者にとって何よりも重要なことなのです。
それでは最後に、日本のみなさんへメッセージをお願いします。
(カラマンギョーリス)
私にとって、日本は何年でも暮らしていけると思える国の一つです。そしてもう一つ付け加えるとすれば、この「黒を恐れない」国の哲学と美意識を私は深く愛していると言えるでしょう。もしかしたら、日本は黒を恐れないただ一つの国であると言えるかもしれません。黒は私が特に好む色のひとつですが、地中海の人間にとって黒は葬祭と結びつけられる恐ろしく遠ざけるべき色です。そんな私が東京でまず目にしたものは、古き良き20世紀を想わせる黒い服に身を包んだ街を行き交う人々でした。
(アルバン・ウカズ)
この美しい国の様々な場所を巡ることができたらと心から思います。本当に、日本が好きになりました。
お二人とも本当にありがとうございました。