日本とギリシャを愛する人々の集うGreeceJapan.comが今回紹介するのは、ロードス島で空手師範として後進の指導に日々邁進しつつも、空手にとどまらず、書道から日本料理までをこなすヨルゴス・エヴァンゲリダキスだ。彼の日本に対する深い愛情はどこから湧き出るのか-。
ヨルゴス・エヴァンゲリダキス-彼の友人はジョージと呼ぶかも知れない-は、1961年(昭和36年)ギリシャ・エーゲ海北部のレムノス島で生まれた。彼と日本との初めての接点は1977年16歳の時。貨物船の船乗りとして初の仕事で訪れたのは日本、それも横浜だったのだという。
「本当のことを言うと…見るものすべてが衝撃的だったよ。建物、橋、それに日本の人々…」当時を思い返して彼はこう語った。-それも当然だろう?田舎から出てきた子供が、あんなに大きな、とても近代的な街を目にしたんだから-。
こうして横浜を皮切りに、エヴァンゲリダキスは佐世保、長崎、水俣、神戸といった数多くの日本各地の港を訪れた。
そしてもう一つ、彼を語る上で忘れてはならないことがある。
幼い頃から、当時のスター、ブルース・リーの映画に憧れる他の子どもたちのように、エヴァンゲリダキスは武道が大好きだった。
1986年、24歳で世界中を旅する生活に区切りをつけたその時、軍人であり、現在ギリシャ空手連盟の副理事長を務めるヨルゴス・コズミディス師範がリムノス島を訪れたことから、エヴァンゲリダキスは彼の助けで武道の道へと導かれ、やがてリムノスで初の極真会道場を開くまでになる。武道を通じて日本と深い関係を持つに至った彼は、文化、ことば、そして日本に関するあらゆる事柄について学び始めた。
それから数年後、リムノス島からロードス島へと移住したエヴァンゲリダキスは日本で学んだ経験を持つ医師、スピロス・ラザラトスとの出会いにより日本語の勉強に没頭し、ついには日本語検定試験を受けるまでになったのだ。
こうして、ことばを学ぶ過程で自然と片仮名、平仮名の書き方を学んだ彼は、程なくして漢字を学び始めた。学び始めは苦労の連続だったというものの、いつしか毎日のように勉強するほど夢中になったという。
そんな彼の情熱は空手と日本語だけに止まらない。今では自ら寿司を握り、書をしたためるまでに達しているのだ。
書道と彼との出会いはある空手の試合で壁に掛かる書道の作品を目にした時だという。この作品に魅了されたエヴァンゲリダキスは、今度は独学で書道をも学び始めたのだ。
独学ながら、今では日本人の友人たちも賞賛してやまない程までに上達したというその書道の腕前で、彼はこれからどんなことばを墨で表現していくのか、そして料理人としての腕は?-彼がどんな高みに到達するのか、興味は尽きない。